そのうち、輪廻転生、因果応報といった運命論的な観点から、客観的に自分の境遇を考えるようになった。現世での自分の境遇に何か意味があるのだとしたら、そこから逃げてはいけないと思うようになったのだ。死ぬことで、現世での苦しみから一時的に解放されたとしても、万一、転生してしまったら、来世ではもっと過酷な運命が待っているかもしれない。
現世でも十分苦しいのに、これ以上の苦しみにはとても耐えられないだろう。
とにかく、この現世での苦しみが、何か理由があって与えられた試練だとしたら、何が何でも、それを乗り越えなくてはならないと思うようになった。
この運命論的な考え方は、その後も私を支配し続けている。
どんなに苦しくても、自分の意思で自分の人生を終わらせるような行為は、来世において、何らかの形でその報いを受けることになるのではないかと考えている。
つまり、現世での試練を乗り越え、真っ当に人生を全うして終えることができたなら、来世は現世よりもましな人生を送れるのではないかという希望が、ずっと私のことを生かし続けているのである。
いつしか、この苦しみは永遠ではない、大人になるまでの辛抱だと気づくと、少し気持ちを楽に持てるようになったが、当時の私には、とても長く感じた本当に苦しい時代だった。
しかし、私は大人になってからの人生に希望を持っていた。
(この世に生まれてきた以上、絶対、幸せになってやる)
といつも思っていた。
“「生きること」イコール「ストレスと闘わなければならないこと」”という等式が成り立つような日々を送っていた私にとって、“いつかは幸せになれる”という希望がなければ、毎日が耐えられなかったのだ。
高校に入ると、大人になって家を出る日も間近だと思えるようになり、“後〇年の辛抱”といつも自分に言い聞かせていたが、この頃は、プレッシャーのかかった大学受験もあり、精神的には本当に過酷な日々だった。
しかし、いくら苦しかったとはいえ、高校までのストレスは日々の小さなストレスであり、私の人生を変えてしまうほどの障害ではなかったといえるが、父の有無を言わさぬ私への干渉は、後に私の人生の岐路ともいえる重要な時期にもいかんなく発揮され、その結果、私の生活はかき回され、私の人生に大きな影を落とすような事態をも招いてしまうのである。
そして、父が脱衣場のドアを開けた行為のことは、誰にも言えなかった。
自分の父親がこんな人だなんて、恥ずかしくて、友だちに言えるわけがない。家族にも言えなかった。私は誰にも言うことができず、自分の胸の中だけにしまい、そして忘れようとした。
この家で、穏やかに生きていくためには、そうするしかなかった。
まだ中学生だった私に選択肢などなかった。
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