この後、父は二度とこの話を蒸し返さなくなったので、この時、私が大声で怒鳴ったことがきっかけになっていることは間違いない。

これは最も長くしつこく責められた事例だが、些細なことでもすぐ責めるのは日常的で、また言わなくても良いことを平気で口にする人だった。

また、父は私の友だちに対しても良い対応をしなかった。普通の親であれば、子どもの友だちは大事にするものだが、父にそのような意識はなかったと思う。

このことは母にも当てはまる。

私が小学生の頃のことである。学校からの帰宅後、近所の友だちが私の家に遊びに来ることになっていた。家に帰ると、両親がこれから山に山菜取りに行くからついてこいと言った。私が友だちと遊ぶ約束をしたと言うと、そんな友だちとの約束なんか守らなくてもいいと言うのだ。

この時は、さすがに父の言っていることは間違っていると思って、私は自分の主張を通して家に残ったが、この一件は、父に対する不信感の始まりとなった。

とにかく、父は自分より下の立場の者に対しては言いたい放題、やりたい放題だったと思う。相手が肉親であれば、がんじがらめに縛り付けようとしたし、他人であれば排除しようとした。そして、時に耳を疑うようなことを平気で口にした。

父は地域の活動に参加するタイプの人ではなかったが、この地域の近くを通過予定のバイパス建設には反対していて、バイパス反対のために結成された「緑を守る会」の副会長をしていた。この会に反対する立場の人もいたらしく、その人のことが余程、気に食わなかったのか、私にこんなことを言ったことがある。