【前回の記事を読む】妻とは2年前に別れていた。所詮、写真だけを生業としながら家庭をもつことなど無謀としか言いようがなかった。

来日して30年、横浜を拠点に布教活動を行ってきた彼は、来年の夏には引退し、故郷に戻って老いた母親と一緒に暮らすのだという。そして編集長が言った通り、神父は、現在はホームヘルパーやボランティアが行っている母親の世話を、彼が帰国するまでの間、私が務めるということでこの話を受諾したのだと言った。

「なあに、世話と言っても買い物やどこかに出かけるときの送迎くらいのことです。彼女は今年で82歳になりますが、まだまだいたって元気ですからご心配なく。ただ、その広さにはびっくりすると思いますが、庭の芝刈りだけは必ず行ってください」

さらに、母親は一人息子が日本にいるせいか、概して日本びいきであること、ニンニクの匂いが大嫌いであること、用事がなければ母親の車は自由に使っていいことなどをユーモアを交えながら述べたあと、

「ウェストキャンプは素晴らしいところです。きっといい写真がたくさん撮れますよ。成功を祈っています。来年の夏、そこでお会いしましょう!」と言って握手を求め、去っていった。私は1年間住むことになるウェストキャンプという地名をこの時知ったのであるが、初めてこの地を踏んだ時の衝撃は一生忘れられるものではない。

マンハッタンの狂気じみた喧騒は決して好きになれなかったが、ポートオーソリティから乗った長距離バスがハドソン川に沿って北上するにつれ、その景観は劇的に変化していき、バスが時折スルーウェイを降りて停車するどの町も、夏の日差しのもと、透明感に溢れ、広々とした芝の上に点在するカラフルな家々は、まるで童話の世界にでも迷い込んだかのように美しかった。

つい数日前まで雑駁(ざっぱく)とはいえ、居心地のよさゆえに安住の地と信じて疑わなかった東京の街の印象が急速に脳裏から消え去り、私はあたかも異次元の世界に迷い込んだかのような錯覚を覚えたものである。

そしてこれから1年の間、住むことになるウェストキャンプの小さな家の前に立った時、満天の星空と、縦横無尽に飛び交う蛍の群れが私の到着を祝福してくれたのであった。