プロローグ
ナタリーの屈託のない笑顔の写真をジャケットの内ポケットに収め、助手席に置いたバッグが転がることがないよう細心の注意を払いながら、私は車を走らせている。バッグの中には彼女の遺灰を収めた小さなガラス瓶が入っていた。北に向かうという以外、行き先にあてはない。
ただ、少しでも彼女の故郷に近い海で散灰しようという思いに駆られていたのが、常磐自動車道にのった唯一の理由であったのかも知れない。
群青に染まる夜明け前の高速道路は、さすがに交通量も少なく、はるか前方を走る車のテールランプと規則正しく後方に流れていく照明灯が、ニューヨークインターステートスルーウェイ87を彷彿とさせた。
生まれて初めてマンハッタンの摩天楼を見るという彼女の瞳の中を、綺羅星のような灯りの群れが無数に泳いでいたのを覚えている。わずか20歳での死出の旅立ち……。しかも、それが未知なる東洋の国であることに不安はなかったのだろうか。
ナタリーは無邪気な子供のようにリムジンバスの窓に額をつけたまま、流れゆく景色をいつまでも楽しんでいた。決して帰ることのない旅の始まりであったにもかかわらず……。
一
コーヒーカップを片手に森の中を歩くことが、最近の私の日課となっていた。それもそれほど早くない朝が、私にとってもっとも好ましい散策の時間帯であったのだが、短い秋が去り、すっかり丸裸になった木々の梢の間を餌を求めて飛びまわるレッドロビンやアメリカンブルーバードの姦(かしま)しい囀(さえず)りを聴きながら、
少しばかり冷めたコーヒーを啜る、それは東京という狂騒と躁鬱に満ちた都会を離れることで初めて知り得た「真我(しんが)」を実感することが出来る至福のひと時でもあった。私がウェストキャンプの一軒家に住むようになってから早、5か月が過ぎようとしていた。
売れない写真家としての生活が、いや、人生そのものが一変したのは、このアメリカ東海岸でのとある取材の仕事を請け負ったことから始まったのだった。
「君は少し英語が話せると言っていたね。実は1年ほどの間、アメリカ東海岸の四季の写真を観光用に美しく撮ってきてもらいたいのだ」時折、小さな仕事を出してくれていた旅行雑誌社の編集長はある日、私が独り身であることを見透かしたかのようにそう提案してきたのである。