両親の結婚

父と母は見合い結婚だった。

一九五二年、父が三十歳、母が二十二歳の時に二人は結婚した。

そもそも、この結婚が間違いではなかったのかと、私は思っている。

当時は、見合いをしてしまったら、もう断ることができなかったと母は言っていたが、これは真実ではないと思う。戦国時代の家同士の政略結婚でもあるまいし、たかだか七十年ほど前の日本で、それは考えられない。

母本人は、本当にそういう意識で見合いに臨んだのかもしれないが、見合いをしても断ることはできたはずである。自分の人生を左右することにもなる大事な選択を、母は初めての見合いで、安易に決めてしまったように私には思える。

なぜ、母が父との見合いを承諾したのか、その理由は明白である。

父の職業が大学の先生だったからだ。母本人に確かめたわけではないが、後々の母の言動が、そのことを証明している。父の風貌は、美男子には程遠いので、外見で選んだのではないことだけは確かである。

一九四一年十一月、母は、当時、ある放送局に勤めていた父親を突然亡くした。

まさに戦争に突入する直前のことであった。開戦間近という情報のもと、連日、深夜まで勤務していたそうだが、用談中に突然ろれつが回らなくなり倒れて、そのまま亡くなってしまった。以前から心臓病の持病に悩まされていたそうだが、直接の死因は脳血栓とのことであった。

この時、母はまだ十二歳だった。母は四人きょうだいの一番上だったが、父親の死後の数年間、戦中戦後の混乱期だったこともあり、母の一家は相当苦労した。

経済的な理由から、きょうだい四人全員を大学へ進学させることは難しく、母は旧制の女学校卒、妹も新制の高校卒だが、二人の弟は苦学して大学へ進学した。

母の結婚のために準備していた着物は、ほとんど食糧に交換していたというので、母が結婚する時には最低限の物しか残っていなかったらしい。そんな母を父は快く受け入れた。

父から聞いたことがあるが、貧乏な家の娘だったら、金遣いが荒くないだろうと思ったと言っていた。

また母にとっても、大学の先生の妻という地位は、大きな魅力だったのではないかと思う。

そこに男女の愛情など、あるはずもなかった。