もっとも、母は恋愛経験が全くなかったようだ。時代が時代なので、男性と交際した経験がないことはともかくとしても、恋愛感情を抱いた経験もなかったらしい。

私が適齢期の頃に、母は恋愛感情を理解できない人だと知り、ずいぶん驚いた覚えがある。

恋愛感情を知らなかったから、父との結婚も抵抗なく受け入れることができたのかもしれないが、母のこうした特徴は、後に私の運命にも少なからず影響を与え、私をとても苦しめることとなるのだが、このことは、「第二部」で詳しく説明する。

祖父

父と母は結婚した後、京都市内にあった父の家で、父の両親とともに暮らすようになった。

父の父親(私の祖父)も大学の先生だった。

浄土真宗本願寺派の僧侶でもあり、仏教学者であり文学博士だった。

記録によると、仏教史学、仏教書誌学の研究者で、印刷や和紙にも造詣が深かったという。

大谷探検隊とも関わりがあったらしく、その資料整理などに携わっている。

祖父は父が勤務していた大学とは別の私立大学の教授だったが、亡くなった時には、地元の新聞に比較的、大きく報じられたので、そこそこ優秀な学者だったと思われる。

祖父は私が一歳七カ月の頃に亡くなったので、どんな人だったのか、話でしか聞いたことがないが、かなり浮世離れした人だったそうだ。

そんな祖父の性格を表す、こんなエピソードがある。

祖父が外出するために玄関で靴をはこうと下を向いたところ、まだズボンをはいていなかったというのである。

上半身はネクタイを締めて帽子までかぶり、きちんと身なりを整えていたが、危うくズボンをはいていない格好で外へ出てしまうところだった。

この話は、耳にタコができるくらい何回も聞かされた。

また街を歩いていて路面電車に接触したこともあったとか。本人はちゃんと道を歩いていたと言い張ったが、線路の上しか通らない路面電車が、普通に人が歩く道を通るはずもなく、祖父が何か考え事でもしていたのだろう。大事に至らなかったのは不幸中の幸いだった。

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