両親の結婚

祖父

祖父の話は両親からよく聞かされたが、いつも笑い話でもするような語り方だった。そのいじられ方から察するに、祖父はだいぶ変わり者だったと推測できる。典型的な学者肌で、性格は温和で、いつも部屋にこもって勉強していた。

しかし、外づらは良かったが、家庭人としてはあまり良くなかったと父は言う。

学者としては優秀な人だったかもしれないが、父親として夫としては、いささか問題があったのだろう。

父は祖父のことを快く思っていなかったようだが、この祖父の力で、父も大学の先生になることができたのではないかと思う。

これはあくまでも私の推測である。祖父は父が勤めていた大学とも関わりがあった。現在であれば難しいかもしれないが、私立の大学であるし、祖父はそれくらいの力を持っていたと思う。父はイギリスの法制史が専門で、祖父とは専門が異なるのだが、どちらも歴史という点では共通している。

祖父は福井県にあるお寺の住職でもあったので、京都と福井を行ったり来たりしていたが、主な生活の拠点は京都にあったため、お寺は息子である私の父には譲らず、親子ほどに年の離れた腹違いの弟に譲った。

従って、父は祖父の跡を継いで僧侶になることはなく俗人である。しかも僧侶の息子とは思えないくらい信仰心がない人だった。

もっとも、祖父の方も、僧侶であるという理由だけで、本当に信仰心があったのかというと、それは疑問である。子どもは親を見て育つ面もあるので、おそらく祖父は学問一筋の人で、信仰には、あまり興味がなかったのではないかと思う。

祖父と父の専門が異なったため、祖父の死後、その膨大な蔵書は、祖父が勤めていた大学の図書館に寄贈された。トラックで何回も往復して運んだという。その寄贈書は、「梵志文庫」として、今もその大学の図書館で保管されている。

立派な学者を父親に持ち、父にもそれなりの苦労はあったかもしれない。それは私にはわからないが、生まれた時から自分たちは特別な存在なのだとでもいうような、何か他の家とは違うという意識を持って育っていったところがあるのは確かである。