戦場では夢中だった。斬らなければ斬られた。突かなければ突かれた。どちらかが死ななければならなかったのだ。生き残るためにやるべきことをやったまでだ。だがおのれが挙げた首級の数を思えば、毎年でも法要を営むべきであろう。 

村上のずんつぁまは儂の按配のいいときを見計らって近づいてくる。儂との距離は仕方がないのだ。親父どのと数々の戦場を共にした、小十郎景綱の家来なのだから。

その点、岩間のあんちゃんは儂の気分のいいときも悪いときも頓着ない。儂より一回り年上で、名を岩間新兵衛という。

わらす(童子)のころに馬の扱いや乗り方を教えてくれ、棒を振り回しての戦ごっこにも付き合ってくれた。

あんちゃんの懐に抱かれて初めて馬で疾駆したときの驚きと胸の高鳴りは、今も忘れられるものではない。風を切り裂いて突き進む心地であった。まともに顔を上げると息ができず、横を向いてあんちゃんの袖のひだに鼻を埋めて息を整えていた。袖を通して伝わるあんちゃんの体のぬくもりが頼もしかったものだ。

あの後、あんちゃんは上役からたいそう叱られたらしい。戦ではいつ何時も儂の横について、常に一心同体のごとく戦ってきた。儂はそんなあんちゃんが本当の兄のように思えて、心から信頼しているのだ。

今は「あんちゃん」などと心安く呼ぶことは遠慮して、「岩間どの」と呼ぶことにしているが、ついつい思わず口から出るのは「あんちゃん」だ。

「時代に合わぬ仁という者に、これまで会うたことがあるか?」

儂の気鬱はそのことと関わりがあったか、とあんちゃんは気づいたかも知れない。だが何も尋ねず首をひねっていたが、ふと目を上げて言った。

「殿さまは屋代勘解由兵衛景頼(やしろかげゆひょうえかげより)のことを、どうお考えですか?」

慶長十二(一六〇七)年、伊達さまから改易・追放を命じられた人物だ。江戸にいた屋代はその日のうちに江戸を去ったという。伊達さまが陸奥守に任ぜられる一年前のことであった。

伊達家のためにひたすら尽力した、伊達政宗さまの股肱(ここう)の臣であった。がっしりとした六尺豊かな大男で、ただいるだけで空気が凍るようだとひとは言ったが、親子ほども年が離れているせいか、儂にはただただ大きくて強い男だという印象しかない。

上段から無言のうちに振り下ろす大太刀の早業は、まず誰も受け止めることはできぬだろう、と聞いていた。

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