第二章 片倉小十郎重綱の使命
一
片倉領では冬の寒さをしのぐのに、紙子の衣装を身につける。厚手の紙に柿渋を引き、乾かしたものを揉んで柔らかくする。また紙を細く裂いたものを機(はた)にかけて織り上げることもする。木綿はたしかに暖かいが、高価で民百姓が普段に身につけられる代物ではないのだ。
お方の熱気に儂は呆気にとられて、顔をまじまじと見てしまった。生きいきとしている。江戸に行きたいのか……。行くのを楽しみにしているのか?
そう言えば陸奥守さまがちらとおっしゃっておられた。ご正室は江戸で将軍家や他の大名家ともそつのない交流を重ね、時に諜者(ちょうじゃ)顔負けの文を送って来られるというのだ。嘆き悲しまれてもかなわぬが、あまり生きいきとされるのも、ちと複雑な心境ではある。人質になる身も辛かろうが、送り出す者はもっと悲しく侘しいものなのだ。
ちらとお方を見やると、その横顔も肩の辺りも寂しげで、ただ江戸行きを楽しみにしているようではなかった。当然であろう、物見遊山に出かけるわけではないのだ。
胸が痛んだ。
二
阿梅がお方の江戸行きを耳にして、目を潤ませ胸の前で両手をこぶしにして「お方さま」と言って立ち尽くしていた。
「阿梅、後のことは頼みます。阿菖蒲と喜佐のこと……」
阿梅がこっくりと深くうなずいた。瞬きもせぬ光る眼が決意を示しているようだった。お方の背の向こうに阿梅の顔がこちらを向いている。その目の力強さにふと左衛門佐どのの面影を見たように思った。
それにしても十四歳とは、なんと枝からもぎ取ったばかりの桃のようではないか。まだどこか子供こどもしてはいるが、その四肢は伸びやかで力がみなぎっている。美しい! まぶしいほどだ。見てはならぬものを見たような気がして、慌てて目をそらした。
二年の歳月は阿梅を娘らしく成長させ、おのれからは体力も気力も奪っていったように思われた。三十四歳というおのれの齢が急に年寄りに思えてきたのだ。