そこで,研究しながら,採用試験の勉強をして,合格するまで受け続け,研究も続けようと決めました。実験室でGC-MS(ガスクロマトグラフィー)分析等をし,データ解析をしながら,夜通し実験し,その合間に教職採用試験の勉強をして,朝方下宿に帰り,少しだけ寝て,また大学に出向くという生活を続けました。

そうしたことから,岐阜県の教員採用試験(中高理科:高校物理・化学若干名)に合格しました。最終的に採用率が高い中学校を選択し,大学院研究中なので採用は延期してもらえないかと岐阜県教育委員会に問い合わせをしましたが,「今就職の回答をもらわないと合格・採用取り消し」との返事でした。

そこで,亀岡先生,宮澤先生と納得するまで相談し,教員になることを決めました。研究室関係者には,直前まで話していなかったので,みんなびっくりしていました。引っ越しのとき,何人か見送りに来ていただき,涙が出てきたことを覚えています。

当時21号館の裏が見える,大学近くの大谷酒店の2階に下宿していました。亀岡先生からは,「教職が一つのめざすところだし,近大で学んだことを生かしてほしい」,宮澤先生には,「途中で大学を去るのはやむを得ないが,研究を続けよ。論文も書け。何としても研究だけは途絶えるな」と激励を受け,大学院中退後も時々連絡を取ったりし,今日に至っています。

当時,亀田先輩からは,「人間には,人を使う人と使われる人がいる。使う人間は,常に開発していかなければならない。使われる人間は,上手に使われよ」と教えていただきました。

また,梅本和泰先生(名古屋学院大)には,大学を出てからも,ずっとお世話になりました。先生が大学で環境科学を担当しておられ,自分の研究テーマと重なる点が多く,名古屋と恵那は比較的近距離(約70km)ということもあり,時々お会いして,資源・エネルギー・環境の諸問題から生活に至るまでお話しし,私が研究を続ける励みになりました。

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