日本一の頂へ
社長も奥さんも、みんな交えて、記念写真を撮った。一生の宝ものだ。
「ありがとうございました」
私が言うと、「ありがとうね」社長と奥さんが笑顔で答えてくれた。
「写真送るからね」賢くんが言った。
何度も頭を下げて、私は山を下り始めた。途端に涙がどっと溢れてきた。お別れって、なんでこんなに泣けるんだろう。ぐずぐずと鼻をすすりながら下り続けた。
下山途中でやっかいなことがあった。下りの地面が砂だらけで、靴の中に砂がどんどん入ってくるのである。登山に関して無知な私は、その頃登山靴の存在すらまともに認識していなかった。もし知っていたとしても、まず買おうとは思わなかっただろう。なにしろ貧乏学生である。そんなお金などない。
靴は、商店街のスーパーで買ったような普通のシューズだった。数歩歩いては靴を脱ぎ、たまった砂をざらざらーと落とす。また数歩歩いてはざらざらー……。
それを一体何度繰り返したか分からない。もう靴下のままで下りたほうが速かったのかもしれないが、けがをしたらいけない。だんだんと暖かくなる空気を感じながら、私は靴を脱ぎ続け、富士山から下山した。
ようやく帰りの富士急行線に乗った時、思わず呟いた。
「空気が濃い」
体感として、空気がたくさんあることを感じたのである。いくら吸っても空気がある。なんて豊かな空気だ。体も心なしか重い。いろんな変化を感じながら、電車は私の大学のある町へと進んだ。
アパートのドアを開けると、私は片付けもそこそこに深く深く眠りについた。途中、母からの電話が鳴った。
「はい、蓬莱館です」私は電話に出た。
「あんた、下りてきたのね? もうアパートにいるのね?」
「蓬莱館だってば」
「あんた、大丈夫ね?」
私は、相手は母だと思ってはいるのだが、なぜか口は蓬莱館だと呟く。極度の疲労がそうさせたのだろう。泥のように寝て、起きた後、私は山小屋に電話した。
「もしもし、蓬莱館です」社長が出たのに、私は、「あ、よしきくん?」と黄色い声で口走ってしまった。嬉しそうに。声がよしきくんにそっくりだったのである。親戚だからであろうか。