四十期と孔子の「論語」

学生期(がくしょうき) ―私の場合、三十歳くらいまで。

学習・修行の時期である。私は生まれてまもなく父を戦争で失ったので、父のことは全く知らない。知らないのでなおさら、憧れに似た気持ちを持ち続けていた。父はロスアンゼルスで育った。学生期を通じて、父の育った国である米国へ留学することが私の目標であった。

日本で学士号と修士号を取ってからアメリカに留学する。ボストン郊外の大学で博士号を取って、ワシントンDCにある研究所で、初めはポストドクトラルフェロー、その後研究員として四年過ごす。これで私の学生期は終わる。

家住期(かじゅうき)―私の場合、三十歳から六十歳くらいまで。

就職・結婚・家庭作り・育児の時期である。学生期から家住期への過渡期、二十八歳で私は学生結婚をした。卒業後、ポスドク時代を過ごす。やがて子どもが生まれ、三十五歳で教員として就職した先はフィラデルフィアにある大学だった。

准教授で八年近く教えた後、四十二歳でダラスにある大きな会社の中央研究所に転職。そこに、八年。その後、五十歳で今度はボストンの小さなベンチャー企業に転職。社員が数万人から、百人ちょっとの会社と職場環境は大転換。

このベンチャー企業は、工科大学の講師と大学院生二人で始めた画像認識の会社であった。ここで働くこと十二年。定年退職して日本に戻ったのが、六十二歳の時であった。

林住期(りんじゅうき)―私の場合、六十から七十歳くらいまで。

世俗を離れ迷いが晴れ、自分らしく自由に、人間らしく生きる時期となる。二十代半ばから六十代初めまで、アメリカで過ごした後、三十六年ぶりで生まれた国に戻り、新しい生活を始める。

この時期で心がけたことが二つあった。まず、錆びついてしまった日本語力、特に書くことを練習すること。雑誌に連載をして編集部の人に見てもらった。また、旅行記やエッセイ風のものを書き、自分で印刷・製本した冊子を友達や知人に差し上げた。

もう一つ新しく始めたことは、それまで全く経験のなかった趣味を試してみて、自分の “殻”を破ること。男のくせにダンスなどと無視していたボールルームダンス。そして、絵心など全くなかったが、バードカービング(鳥の木彫)・ウッドカービング(木の焼き絵)・鉛筆画など。

全く新しい毎日になった。仕事で常勤はなかったが、社外取締役や技術顧問などで数社を支援する。