このことは、「主体性」2)と大きく関わっています。

「楽しさ」3)や問題が解決されていく喜びを伴った実感は極めて重要なことです。

普段の教科の学習において、「百点を取る!」等の目標を立て(させられ)て、それが達成されないようなことが繰り返されたならば、「目標はただ単に掲げるだけのもの」という習慣や「学習の成果とは数値」という思考が身に付いてしまい、そこには内容に対する楽しさも達成感もないからです。


2)大学教育に関することですが、「そもそも文部科学省(筆者注:文部科学省「予測困難な時代において生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ」2012)が重視する主体的な学びには2つの意味があると考えられる。1つは授業の予習・復習を主体的に学んでいくことであり、もう1つは予測困難な時代においても自ら目標を立てて学んでいくことである。両者は類似しているものの、前者は与えられた課題に対する学習者の積極性が強調されていることに対して、後者は課題そのものを自ら設定する自律性が強調されている点で異なる。(中略)現在の大学教育では単位制度の実質化を目指し、前者が強調されている風潮がある。しかし、学士課程教育の質の保証のためには後者も重要である。なぜなら自分自身で目標を立て、学んでいくことができるからこそ、予測困難な状況であっても主体的に学んでいくことができると考えられるからである」という指摘(畑野快・溝上慎一「大学生の主体的な授業態度と学習時間に基づく学生タイプの検討」『日本教育工学会論文誌』37(1)、2013、p.15.)があります。

主体性を積極性と自律性の二つの面から捉えてみると分かりやすく、評価も行いやすくなります(例:「本日習った漢字を百回ずつ書いてきなさい」という宿題が出された際に、きちんとこなしたり、さらに倍の回数を書いてきたりしたのは積極性といえますが、その字を用いた短文をつくってきた、字の形が似ているものを調べてきた、という自律性は、個性化に関わっても、大変重要なことであるといえます)。

3)必要性という点では、何らかの利益を実感できるか、みんなにとってのよりよい環境につながるか、あるいは、楽しさ(学校における学習・活動では、通常はご褒美をもらえるわけではないため)を感じるか、ということが重要だといえます。