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リセット
シャンプーの香りを漂わせながら病室に戻ると、奥のカーテンが開き、亀ヶ谷さんがベッドサイドに来た。彼は車を停車中、後ろから衝突されたそうで、左足がガタガタになっていた。
「はい、これ」
亀ヶ谷さんは二リットル入りのミネラルウォーターのペットボトルと、たこ焼きスナック・タコちっちの甘辛ソース味を僕にさしだした。
「すみませんね。いつも買ってきていただいて」
「いやぁ。なんも、なんも」
「ところでここは何階ですか?」
「四階だよ」
「今日は晴れですか?」
「うん。昨日は雨だった」
「そっか」
「ほかに何かいるものはあるかい?」
「いえ、今は特に」
「また欲しいものがあったら、なんでも言ってね」
亀ヶ谷さんはそう言って、にっこりと微笑んだ。
夜になると、腹が音をたてて鳴るようになった。
夕食は六時と、すこし早い。あまり食欲がないので残すことが多かったが、最近は消灯後に空腹で眠れないようになってきた。どうしても腹が鳴りやまないときは、ペットボトルのミネラルウォーターをがぶ飲みして誤魔化したが、そのあと決まってトイレに行きたくなった。となりでは、カーテンを一枚挟んで亀ヶ谷さんが寝息をたてている。
♬ 九千九百九十九まで数えてダメなら
九万九千九百九十九まで頑張るんだ
僕は半ば陶然として、鼻歌を口ずさんだ。深い闇から生還して以来、幾度となく口ずさんだフレーズだ。
携帯を見ると、夜中の一時半だ。
時間はなかなか過ぎない。気持ちは眠りたいのに頭が妙に冴えて、眠気の欠片もない。
遠くでサイレンの音が聞こえる。なんだかわからない、いやな感じが腹の底を駆ける。サイレンは徐々に近づいて、この病棟の下で消えた。ここは救急指定病院なのか、今日一日で三十回くらいこの音を聞いた。
剃りこみの生えぎわが後退したかどうかを、指で確認する。ため息が出た。
「……眠れないの?」