小休止の(きわぎわ)兵舎脇の煉瓦で囲った喫煙場で一服するが彼は喫わない。「おい喫え」。「だって自分はこんなに頭が悪いのにたばこ丈は一人前にのむ生意気なやつと思われると。保さん、そうでしょう」。塚本には軍隊言葉は使えなかった。無理にしつけてもピントが外れているので彼の地方語には古年兵も大目であった。

隊長当番の保はその洗濯、繕い物に追われ、自分の事が出来ぬ日も(すくな)くなく靴集合と消灯点呼前の号令を聞いて再三どきりとし殴られるのを覚悟で整列すると保の靴はちゃんと手入がしてあるのだ。洗濯も同様丸めて整理箱に、かくしておくと洗って又入れてある。塚本に礼を言っても何もいわず笑っている。隊長当番の保は自分の当番もいつしか持つ様になったのである。

塚本は見送る保に何度もふり返り、手をふり、一人銃を担いで下士官につきそわれ高梁畠の風に送られて行ってしまった。

如何したであろう。広瀬はこの間新設された第八病棟へ炭坑から送られて来、「もう駄目です」とロイド眼鏡の奥の眼を瞬かせて死んでいった。幹侯試験で保と席順を争った亀山も雪の積らぬ前にひどい肺結核で死んでしまった。

本も読めなくなり、名前はロマンチックな白夜もいらだたしい長い夜に感じられたが、まだ散歩できたそのころが懐しく、昨日夜半鉄柵わきの小川に佇んでいた金子がモンゴリアンの巡察将校に捕まえられ、営倉入りになったが発狂したのかな等考えながら白く凍てついた窓から真暗な外を眺めていると、ブルンクが音もなくペーチカで顔をいやが上にも火照らせ赤鬼よろしく入って来て「保、ハイムヴェー?(郷愁)おおよくない」。

緑のハンケチにつつんだドクター食のドーナツを手ににぎらせ「保、あなたはまだ若い。今に屹度偉くなって独乙に来るでしょう。その時私が会い度いと云っても私の汚ないなりを見て知らないというでしょう。いわない? ああよかった矢張り保だ。お互いにかえったら手紙を出しましょう。トウキョウ、ヤパン。学生保で着きますか。保には姉妹もムッターもある。私は、かえっても誰も迎えてはくれない。許婚からも何も云って来ない、でも私は健康で(ほがら)かだ。さあ寝ましょう。もうじきクリスマス。EARLY TO BED AND EARLY TO RISE……」。両手を保の肩におきそう囁くのだった。

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