(三)
ある晩ベツド順に一人ずつ女性の話をする事になり保の番になった時むかしよんだ小説をそのまま語ると「何だ保も普段はすましていても相当なもんや」「何も知らんちゅう顔なぞして」。
……とは言われ乍らも毎朝登校途中三田の坂で会うS女学院の制服の似合う日本画から抜け出して来た様な女学生に淡い憧憬を感じ母のもう遅れますよという声にやっと自転車に乗り恰度坂を押上げて行く時出会う様、時間を見計らって出かけたものだった。
その人は絹子と云った。齢は保と三つ違い。父親は保険会社の社長である。之は母にねだって紳士録を買い調べたのだ。予科へ行く様になってからは滅多に会う事もなく稀に会っても絹子は自家用車の中であった。
ある時微笑んだ様にも想うが左様な時、今男(いまお)は押しさと話合うのを聞くと、下品だなあと思いつつも片隅のベッドから凝っと聴き耳を立てるのだった。
窓外のひまわりが日ましにすくすく伸びて行く。ベニヤ板も次第にうすく、ボロ布をほぐして糸とし手拭に舞妓姿を刺繡するのが流行り出し、ボール紙細工の将棋駒も金、銀、が判然せぬ程廻し使われている。
ドイツ人楽団が食堂脇、四病棟前でと夕べのプロムナード・コンサートを演る様になった白夜の近づいてくる六月十五日、野田軍医が靴のまま病室へ駆け込み
「還れるぞっ」。
「えっ」。
保たちは一斉にベッドの上に起き上った。
「今度こそ本当なんだ。今犬山君が指揮所へ名前をかき取りに行っている。もうすぐ帰るだろう。君たちは患者だからみんな還れるんだ」。
もう之からは体温計を擦らずに済む患者は躍り上って喜んだ中に保の気持は暗かった。(まだG・P・Uの取調は途中なんだ。きっと残されるだろう)