(一)

収容所には小さなクラブがあり演劇映画も時偶やっていた。

幕が上ると、元ベルリンフィルハーモニーの第一ヴァイオリニスト今は食堂コックのヴァイオリン、第四病棟ドクターのギター、入浴場釜番のチェロ、ベルリンオリンピック開会の際トランペットを吹き、その英姿を民族の祭典に撮られた四病棟炊事番のトランペットといったメンバーで殺伐な日々の生活も此の時許りは夫々の国の劇場にいる様に品振り靴をランプの煤や炊事場からくすねたヘット(牛脂)で磨き、髪をきれいに分けて寄合った。

最後に哀愁を帯びた“星輝く君が故里”といった調子の歌を皆椅子の上に肩を組合い左右に体を振って保もうろ覚えの独乙語で合唱し、少時の間、郷愁にひたり涙ぐんだりした。この時の独乙人が普段の独乙人であったらもっと愛す事が出来たであろう。彼等は歌を歌い終ると全くの別人になるのかと思われる程なのだ。

その中でブルンク、シェシャルク、保がまだバラックに居るころ、トーマス・マンを読んでもらったドクターシュミットは選ばれた少数者だった。

シュミットはいつも口許に笑みを浮かべ、毎日の無聊(ぶりょう)から独乙語を教えてくれと強引に訪れた保を二病棟の植込みのベンチに坐らせ、トーマス・マンをテキストにしてどんなに保が間の抜けた答えをしても何度もくり返しベニヤ板に書いては消し、果ては絵まで書いて呑みこませてくれた。

感興わけば女装して白いストッキングの足をふり、ダンスして見せたりしたが、保の怠慢からいつかこの勉強もやめてしまった。

保達にはまだ国との交通は許されなかったが欧州人は年数回の手紙を書く事ができた。

ブルンクへケムニッツから便りがあると保だけに見せようと読ませてくれた。それは小学校当時の女友達からで彼の唯一の弟が発しんチフスで死んだ知らせだった。

「ああ之で私も世界でたった一人になってしまった。許婚からは何んの手紙も来ないし」。

既に両親のない捕虜生活五年目のブルンクは呟いた。