(二)

クリスマスイヴにはブルンクは日本人は保と大川を招待し他にシェシャルク、歯科ドクター十名足らずを集め彼の自室で机にシーツをかけ粉煙草、マッチを入れたブリキ皿、お茶を入れた薬かんを並べ、樅の木に注射薬の入っていたアンプルの周りを白紙で捲き、ケロ芯を差し入れた代用ローソクを下げたクリスマスツリーを置き、部屋の隅に注射薬の函で作った基督降誕の切紙細工を飾り、電灯を消し、お茶を飲み、ブルンクから煙草を入れたハート型のガーゼ袋をプレゼントされ、あかあかと燃えるペーチカを囲んで聖夜等知れる限りの讃美歌を合唱し、楽しかった故国の今晩を偲び合うのだった。

保も子供時分目覚めると枕許に置かれてある詰合せ菓子の入った靴下が嬉しく、学校へ行く様になってからは丁度クリスマス前に学期試験が終り、てんでに持帰った通信簿を母、姉妹に見せ合い、姉妹達から色とりどりのリボンに結ばれたプレゼントを贈られた事をそこはかとなく憶い出した。

人間は変ればどんな処ででも生活し得、案外行き詰らぬものだ。


やがて一九四七年春に先駆けてカラカンダからカーチャと呼ぶ十九才の凡そスパスクの他の看護婦とは型の変った若々しい派手なワンピースを着た、黒い瞳の睫毛の長い女性が颯爽と転勤して来た。

今迄年かさの仕事の毎に喚き散らす看護婦達へ、相手がソ連人では如何にもならずブツブツ言っていた各病棟のドクターが色めき立ったのも無理はない。