保も若し医務室へ配属されたら如何しようと人並に胸を(とどろかせたが、すべての希望を()()に彼女は總監督ドクターで英、独、露、羅、日五ケ國語を(わきま)えるオーストリア人メゼーの起居する三病棟で仕事する事になったが他の看護婦同様、毎朝収容所の門を入っても大して仕事もせず、医務室のソ連会議室でドクター達と喋り合い、後は三病棟の植込のベンチに腰を下ろし毎日違ったヴェールを被りワンピースを着、時には藍色のストッキングを穿いて編物をし、たまに医務室へ足でドアを開けて入って來、驚いて不動の姿勢をとる保に「あたしの指環がこわれたから工場へ持って行って頂戴」と玩具の様な赤い石をはめ込んだクローム指環を押しつけて行くのだ。

オーネゾルゲが「保、きたないよ。捨てちまえ」とそれまで隠れていた独乙医務室から出てきて呆気にとられて立っている保にたまらぬといった面持で言うのだった。

彼はベルリンマヨネーズ会社の社長の独り息子で、海岸に別荘をもっているのが得意な二十五の戦車隊副官である。彼はソ連人が入ってくると何処へともなく姿を消し、居なくなるとひょっこり戻って周章(あわて)ている保たちを愉快相に笑うその姓の通り心配無しのゾルゲなのだ。

彼は栄養失調第三期で二病棟に入院して居たのを英語が話せるのでブルンクに見出され退院後医務室勤務となったがソ連人に対して礼をつくさずロシア語を覚え様ともせず英語、日本語丈を話す態度がブルンクの気に入らぬのか時々ブルンクがソ連人から巻たばこをもらっても保には頒つが彼には与え様とせず保からゾルゲに差し出してもブルンクからと分れば決して取ろうとはしなかった。

冬中、層を為して凍りついた雪氷が徐々にとける頃ともなると作業隊は再び忙しく、ルーマニア将校は白粉をつけるという噂も満更ではあるまいと思われる我が作業隊大隊長ルーマニア人は瘦身長軀に所内の洋服工場で仕立てた茶色軍服を着茶色の長靴を履いて白手袋をはめながら、木靴をはき、日、独の上衣、袴をつけた一般捕虜のせん望の目指しを後に作業隊を指揮し門を出で除雪作業や畠へと出かけて行くのが毎朝みられる様になった。

と或る日、ルーマニア大隊長がキャベツ貯蔵場でカーチャとキスしたのをみたとかみないとか、いや、俺が実際見たんだとか話の種に困っている口さがない各国捕虜の口から耳へと伝わり帰国のデマニュースと同じ速度で収容所全部へ拡がっていった。

ルーマニア大隊長は一介の捕虜として炭坑へ、カーチャは鉄柵わきの小川が流氷を滔々と押し流し、おちこちのバラックの屋根から大きな雪塊がずしーんずしーんと落ちる頃ソ連の春の様にあわただしく去ってしまった。
 

【前回の記事を読む】怒鳴ることもあるけれど…曲がった人差指を際立たせて頭をかく彼のかっこうに思わず苦笑