【前回の記事を読む】「正解はないのだから何でもあり」ではない…音楽の"普遍性”を目がけ合うことが大切な理由

第1章 「楽しさ」と「実感」がある授業のために…

1-3「今」は「将来」そのもの

子どもたちにとって、「明らかに役に立つ」とか「楽しい」といった実感がなかったならば、「いつか役に立つかもしれないよ」という程度のことに、貴重な時間や脳の容量の大きな部分を割くということに納得は得られにくいに違いありません。何より、そのいつかというのは、子どもにとって見通しのもてるいつかではなく、自分とは異なる人物のたどった道筋や経験であるという感覚はないでしょうか。

将来とは何でしょうか。どんな将来でしょうか。その「いつかこの学習が役に立つかもしれない将来」でしょうか。学校でのお勉強は子どもたちの「将来のため」といわれます。このことに関わっては、ほとんどの親が「『子どもたちのいましていることは、将来に向けての準備じゃないと意味がない』と考え、『将来お金がたくさんもらえるように』『将来好きなことができるように』と、『いま』ではなく、『未来』を生きること」を求めているという指摘があります。

そういった在り方の教育を受けると、「いまを生きる」方法を忘れてしまい、「大人になっても、将来のための準備が一生続くような意識を持つようになってしまう」というのです。必要性や充実感が認識できない(学習が終わっても、開放感はあるけれど達成感がない)、あるいは必要性を納得していない断片的な知識や技能を、いつか役に立つかもしれないからと詰め込んでいく在り方(身に付けてみたものの、先生にもそれがいつ使われるか分からない)と重なる部分があるといえます。

学校で授業に臨む子どもたちにとって、今を全力で楽しく(楽しさについては〈5-4-1〉で後述します)、あるいは必要性や充実感を認識しながら活動することが大切であると考えます。人生は問題解決の連続です。

「イノベーションは、いま身の回りで起きていることに心を開き注意を払うことから始まるのだから、フューチャリスト(未来志向者)であってはいけない。いまの出来事に集中するナウイスト(現在志向者)になるべき」

であるといえます。そのためにも、何かに関心をもって意欲的に活動に取り組むことにより、

「『関心・意欲・態度』は学習の入り口であり、それに支えられながら調べたり、探したりするのに必要な学習能力が『思考・判断』であり、その成果として身に付けるのが『技能』であり『知識・理解』である」

といった問題解決としての学習におけるサイクルという形で説明される環境が整い、結果として血となり肉となった有機的な知識や技能が身に付いていきます(技能については、〈5-3〉で詳しく述べます)。

これは、〈はじめに〉で触れたような、「どうして○○なんか勉強しなくちゃいけないの?」という子どもの言葉とも深く関わっているといえるでしょう。こうしたことは、お勉強をやりなれていると思われる大学生にとっても同様です。

「学習者が自ら答えを見出す学習への価値づけ」「なぜ自分は今まで勉強してきたのか、勉強とは自分にとって何だったのか、なぜ自分は大学にいるのか、大学でなければならなかったのか、等を自分に問いかけてみる」といった具合に「価値」がキーワードになります。

また、「自ら学ぶという姿勢を身につける上で、学ぶことに自分なりの意義を見出すことが重要」との指摘があります。進路目標を明確にもっている学生とそうでない学生では、「利用価値」か「学習の面白さ」という具合に求めるものが異なるといい、それぞれに意義を感じるわけです。