【前回の記事を読む】ヒトラー統治下のドイツ…原発開発のカギを握る男の失態とは?
《三》ドイツの原爆開発の状況
基礎研究段階にとどまったドイツの原爆開発
ドイツの核分裂研究はその後、終戦まで基礎研究の段階にとどまっていました。
一九四五年にナチス・ドイツが降伏した後で組織された連合軍の秘密機関『アルゾス特殊部隊』は、ドイツ人原子力科学者を突きとめ拘束するとともに、ナチスの原子爆弾製造プロジェクトに関する文書を可能な限り収集しました。
その特殊部隊はハイガーロッホのナチスの原子炉を発見して備品を押収し、ドイツ南部の田園邸宅に隠れていたハイゼンベルクと、原子爆弾製造プロジェクトに関わっていたその他の九人の科学者たちを逮捕しました。
これらの調査結果を総合すると、ドイツ人科学者たちは連鎖反応を理解し、ウランのどの同位体を用いればよいかを正確に知っていたし、それを分離する方法もすでに開発していました。
原子炉における核反応の減速材として重水を使えばよいことも知っていましたし、事実、ハイガーロッホに原子炉を建設してもいました。原子炉の中でウラン二三八が中性子を捕獲してウラン二三九になり、それが崩壊して生成される物質(プルトニウム)がウラン二三五の代わりに爆弾に使用できることも知っていました。つまり、ほとんど知っていたのです。
彼らと原子爆弾の間に立ちはだかっていたのは、時間と予算と人的資源でした。それもできたかもしれませんが、前述しましたようにハイゼンベルクの煮え切らない態度でヒトラーに計画が上がらなかったのです。
ハイゼンベルクについては、ドイツ国内からも欧米からもいろいろ言われましたが、彼は真意をとうとう述べませんでした。