【前回の記事を読む】真意は語らず世を去った…ハイゼンベルクの原爆開発が大成しなかったのは何故?

《四》日本への原爆投下

原爆投下の鍵を握るトルーマン大統領

後世の人々にとって不幸なことは、原爆開発の経緯とソ連を加えた国際管理の必要性を熟知していた(決断をしてはいませんでしたが)ルーズベルトが死去したことでした。原爆完成の三ヶ月前の一九四五年四月一二日に副大統領だったトルーマンが大統領に昇格しました。トルーマンは大統領になった四月の時点で原子爆弾の完成予定を知り、原爆投下の最終判断はアメリカの最終意思決定者であるトルーマン大統領の頭脳にかかってきました(トルーマンは副大統領のとき、あまり重要な事項にタッチしていませんでした)。

四月二五日、原爆開発の実質上の責任者であったスティムソン陸軍長官はトルーマンと会見しました。スティムソンは原爆についてルーズベルトから何も知らされていなかった大統領に、原爆に関する主要な問題、特に米ソ関係において原爆の持つ意味を知らせるために覚書を用意しました。その覚書にスティムソンは次のように書いていました。

(1)四ヶ月以内に我々は、人類史上もっとも恐るべき兵器の開発を完了する。これはほぼ既定の事実であり、この爆弾は、一発で一つの都市全体を破壊することができる。

(2)この兵器はイギリスとの共同開発であるとはいえ、アメリカは、現時点においては、その製造と使用に必要とされる物理学的な情報を独占しており、ここ数年間はいかなる国といえどもこの地点に到達することはできない。

(3)しかしながら、我々がこうした独占的な状況を維持することは、事実上、まったく不可能である。

四月二五日のトルーマン大統領に対するはじめての説明では、スティムソンは、原爆を日本に対して使用することがはたして賢明な政策であるかどうかという疑問は提起してはいませんでした。

しかし、原爆の問題も含めて「戦後における原子力の研究、開発、管理及びこれらを実施するために必要な立法措置に関する調査と政策提言を行う」ための特別委員会の設置を準備中であり、議会に諮らず、行政府が秘密裡に原爆を開発してきたことについて議会の権限を侵していない形をとるために、その委員会を「暫定委員会」と呼ぶことにするとも話しました。

この会合にはグローヴス准将(少将に昇格しましたが以下そのままとします)も同席していて、彼は「大統領は、陸軍長官のそうした説明については、それを細かく知っておく必要はないと判断し、秘書にメモをとらせようとはしなかった。もっとも重要な論題となったのは、外国との関係、とりわけソ連の動向だった。

大統領は、プロジェクトに投入されている資金にはまったく関心を示さなかったのだが、プロジェクトそのものの必要性についてはまったく同意見である旨を言明した」と記録を残していました。