【前回の記事を読む】大統領に届かなかった…原爆投下を反対した「フランクレポート」とは?

《四》日本への原爆投下

はじめてヤルタ会談の内容を知った大統領

さて就任したばかりのトルーマン大統領は、大統領になって初めて一九四五年二月のヤルタ会談の内容も詳しく知りました。そのヤルタ協定では、

①ドイツ降伏後九〇日以内にソ連が日本との戦争に参戦すること

②モンゴルの現状は維持されること

③樺太(サハリン)南部をソ連に返還すること

④千島列島をソ連に引き渡すこと

⑤満州の港湾と鉄道におけるソ連の権益確保

などが決められました。

③の日露戦争で日本が獲得したサハリン南部を返還するのは当然ですが、④はルーズベルトの譲歩のしすぎと言われても仕方がないことでした。千島列島は、一八七五年の樺太・千島交換条約で、樺太での日本の権益を放棄する代わりに、得撫島(ウルップ島)以北の千島一八島をロシアが日本に譲渡しました。これはお互い納得の上での条約でした。

つまり、その上に千島列島をソ連に引き渡すことは、参戦の代償ということになり、ルーズベルトの信念に反するものでした(大西洋憲章の第一項目の領土不拡大に反します)。

そこ(千島列島を引き渡すこと)までして、スターリンに対日参戦を促したのは、スターリンに必要以上に譲歩したともとられています。⑤もルーズベルトの譲歩のしすぎで、これはのちに中国が問題としました。

トルーマンは大統領になったとき、当時、これはソ連に譲歩しすぎだと、ルーズベルトに対する批判があることも知っていました。のちの北方領土問題まで書いたのは、ソ連の対日参戦問題と原爆投下問題はトルーマンの頭脳の中で微妙に絡んでいたと考えられるからです。