第二章 「越の鳳雛」
彦主人王の殯と葬儀を終え振媛は、男大迹を自分の手で育てるために、知り人の多い里の三国に帰ることを決めた。
〈このまま正月を迎えて坂田を訪れれば、おそらく男大迹の行く末について部族内で議せられ、息長氏の中での立場を巡り危惧する者もあろう。確かに大切に育てられると思うが、男大迹に課せられた道とは異なると思う。やはり故里である三国の地で我がもとで育てよう〉
振媛は正月を待たずに高島を出発した。美沙目や致福など十人ばかりが従者として従う。坂田からも息長の若き首長である真手王をはじめ、氏族の長も数人が見送りにきて、それなりに別れを惜しむ言葉をかけてくれたが、中にはほっとした表情をうかがわせる者もいた。
振媛は三国への帰国の決心が間違っていなかったと感じた。
振媛の一行は雪の中を北に進んでいく。輿の中で男大迹は母の膝を枕にしばらくまどろんでいたが、輿の揺れで眼を開き母の顔を見つめた。振媛は目覚めた男大迹を気遣って、
「寒くはないかえ?」と問うと、
「ううん、母さまの膝温かい」と応え、また眼を閉じた。
振媛は輿の中から若い致福に声をかけ、先を急ぐよう伝えた。
ただ振媛の胸には懸念があった。それは彼女の出自に関わることである。
その昔、父親である三尾の首長乎波智が任那の金官国府司として滞在していたときに、当地の有力者であった宗我満智から彼の義理の従姉妹にあたる、阿那尓比弥を薦められ娶った。
比弥は百済王族の裔ともいわれるが、数代前から任那の洛東江の南に移り住んでいた。任那の地では普通のことではあるが、倭人や新羅人の血も混じっている。
比弥は気品高く美しい容貌と勝ち気な性格を持ち、乎波智との間に金官加羅国で振媛とその兄都ツ奴ヌ牟ム斯シを儲けた。乎波智の任が終えるとともに三国に帰国したが、本拠の坂中井には正妻である妃と後継ぎがすでにいた。
阿那尓比弥はそれを憚り、東方にはずれた地の高向に居を決めたのである。
そして乎波智が亡くなると、幼い振媛を新しく三尾の首長となった堅楲に託し、都奴牟斯を連れて北の加賀に渡り、湖沼に囲まれた地で半島からの渡来人が多い「江沼」に移り住み、その地で百済人とともに開拓に勤しむ暮らしを選んだ。
その母も十年も前に亡くなり、兄の都奴牟斯も三国には未練なく江沼の地で生きている。
そのような境遇で振媛は三国に帰ろうとしているのであり、たとえ兄の堅楲君が温かく迎えてくれようと、周りとの軋轢は避けねばならないと思っていた。