第二章 「越の鳳雛」
男大迹は、雄島に至る寸前に体が眩い光に包まれる感覚とともに気を失い、痛みを感じることもなく島の頂き付近に堕ちたが、目覚める直前に頭の中で響く声を聞いた。
《男大迹よ、汝に新しい生を与えよう。その命に適う務めを果たせ、苦しい道に光を求めよ!》
確かにその声を頭に刻み意識が戻る。ただ、男大迹はこのことは誰にも話せないと思った。
男大迹は無事に生還したが、元通りの境遇には戻れなかった。
振媛は意識を取り戻し、息子の無事を心より喜んだが、あの時の心労からか、体の衰弱で立ち上がれず床に就いたままの状態が続いている。また、堅夫は強烈な怯えでまともに口も利けず心を失った模様で、坂中井の館の奥に引き籠っていると聞いている。
かの奇跡は瞬く間に国中に広がり、男大迹に希望を見る声が高まり始めた。さらに噂は国を越えた。逆に、三尾本家で今まで堅夫の側に仕えていた者たちは男大迹に対して複雑な感情を抱く者もおり、男大迹もそんな空気を肌で感じて考え込む日々が続いていた。
振媛の容態は一進一退を繰り返し、その年の秋を迎えたある日、若くして三尾角折の長を継いだ磐足が見舞いのために高向を訪れ、病床の振媛に優しく問うた。
「我が妹の稚子を太杜の嫁として迎えてはくれないか?」
振媛は申し出に喜んで承諾した。男大迹も幼馴染の稚子媛を好ましく思っていて母の勧めもあり、磐足に向かって頷いた。
だがこの佳き話にもかかわらず、その後は振媛の容態は悪化が進んできた。そして、男大迹は母が万が一の場合、このまま三国に留まってよいのかと心は揺れ動いている。
そのような気持ちを抱き、男大迹は坂中井に三尾の堅楲君を訪ねて本心を包みなく話して相談した。母の病状を伝え、堅夫を気遣い、角折との婚姻、そして万一に母が亡くなれば三国をしばらく離れたい旨を告げた。堅楲は三国を出て何をするのかを尋ねると、男大迹は、
「まだ確とは決めかねておりますが、そう、まずは治水の技を学ぶこと。さらに自分が何者になろうとしているのか、他の力を頼らずに生きる苦しみの中から自身を見つめ直してみたいと存じております」と、咄嗟に思いついたことを口に出した。
〈そう、治水で水害を防ぐことができれば、確かに民は喜び三国も豊かになる〉
男大迹は話を交わしながら『治水』という具体的な目標を得ることができ、細いながら先に一筋の光明を見出したことを感じていた。
堅楲は少しの間腕を組み考え抜いたあと、
「太杜よ、話はよく分かった。しばらく時をくれ。汝の望みがかなう道を考えてみよう」と応えた。