第二章 「越の鳳雛」
その後も正月には坂中井に出向くが、堅夫の男大迹に対する態度は少しずつ大人びてきてはいるものの相変わらず素っ気なく、互いの位置関係は変わらなかった。
それに比べて、坂中井より遠方ではあるが角折の館へ行くのは楽しみであった。三尾角折君の長子の磐足は男大迹より五歳年上、娘の稚子媛は二歳年上で、訪れた際にはいつも三人仲良く過ごした。特に稚子媛は姉気取りで何かと世話を尽くしてくれる。
将来、磐足は十七歳で先代の後を継ぎ三尾角折君となるが、年を経るごとに領地での度重なる水害を訴え、治水の大切さを男大迹に話しきかせるようになってきた。角折も坂中井の地も長年にわたり川の恵みを受けるとともに、毎年のように水害にもさらされていた。
十歳になると、母の振媛は男大迹に稲の作付けや手入れの仕方を教え、ともに田畑で働き始めた。高向は少し高台にあり稲作は低地に下りて栽培していたが、梅雨や台風の時期で大雨に見舞われると九頭竜川はあっけなく氾濫し、幹から四方八方に枝を張るように水が流れ出し、さらにひどくなると三国湊まで一面が湖水となってしまう、その都度、稲は大きな被害を受けることになる。
致福らと土手のごとき堤防を築くが、技術が拙く水流が強くなれば途端に崩れ去ってしまう。そのように水との戦いを繰り返しながら年を重ねていく。
十五歳を迎えた小正月に、男大迹は成人への神事を受けることとなった。三国では十五歳になった男子に大人になる覚悟を確かめる儀式として、いつの頃からか、「神の天柱(今の東尋坊)」の崖からの逆さづりに耐えることでその証しとしていた。認められれば一人前として扱われ嫁取りも許された。
この年は三尾氏一族の五人がその対象となっていた。男大迹は袖幅が広く足首を縛った白装束の姿で首からは母から授けられた勾玉と管玉を連ねた御統(頸珠)を胸に下げ、禊を受けた後に逆さづりに挑む。支える綱を持つのはここ最近に神事を受けた若者三人で、男大迹には三尾の堅夫が前を受け持つこととなった。
男大迹は会釈してお願いすると、「我れは二年前、三丈(約九メートル)まで耐えたぞ。まだ誰にも超えられてない。汝はそこまで我慢することはないがな。もうだめだと思ったらさっさと手を挙げろよ」と笑いながら言った。男大迹はもう一度礼をし、御統を首からはずして母に預けて崖に向かう。三尾の堅楲君も角折の磐足も控えている。振媛は脇で眼を閉じて祈り続けており、乳母の美沙目や致福も祈りながら固唾をのんで見守っている。