暮れに三国に到着した一行は、すぐに坂中井の首長の館に迎えられ、堅楲君からも労わりの言葉をかけられ、ともに暮らすことを勧められたが、振媛は道中で考えてきた通り、本家と距離を置いた地で自らの手で男大迹を育てたいと思い、「母のゆかりのある高向に住みたいと存じます。どうかお許しを……」と堅楲君に願いを通し、正月早々、帰国時の従者の内で主だったものを供にして、高向に移っていった。
本拠の坂中井とは一定の距離を置いた生活を続けていたが、堅楲君の計らいであろうか、支族の三ミ尾オノ角ツヌ折オリの長からの厚い支援もあり、特に暮らしぶりに困ることもなく日々を過ごしていた。
次の年の正月、振媛は五歳を迎えた男大迹を連れて久しぶりに坂中井を訪れ、三尾の首長である堅楲君をはじめ主だった親族に新年の挨拶を済ませ、元日の一日を少なからず気兼ねしながら過ごした。
男大迹といえば、広い館と大勢の人の中でいつになく落ち着きのない表情をしていたが、それでも嬉しそうにあちこちと動き回っている。広間の脇の控えの間を覗くと、男大迹より少し年上らしい男の子が、妹と見える二、三歳の幼子の前で何かをして遊んでいる。
先ほど年賀の挨拶をした際、首長の横にいた長男で後取りの堅夫であった。
普段、高向では同年輩の子供と触れ合うことはなく、ともに遊びたいと思い部屋に入った。
堅夫が手にしていたのはこぶし大の木を紡錘型に削って先に円い棒の柄を付けたもので、その柄を手でひねれば床の上でしばらく回っている。高句麗から任那を経て伝わった玩具ゆえ「コマ(高麗)」と言われている。
堅夫の膝の前には色違いの物が三個ほど転がっており、男大迹も同じように遊ぼうと、堅夫に笑顔で会釈しながらコマを手に取ろうとしたところ、
「吾のものに触るな、太杜。高向のよそ者は近寄るな。さがれ!」
ときつい言葉を発した。堅夫は大柄の男大迹とほぼ同じ体格だが二つ年上の七歳になる。気の強い性格で首長の長子であるという立場がそうさせているのか周りに対し少しわがままである。
堅夫の叱責に男大迹は一瞬戸惑うが、仕方なく鼻に指を添えながら部屋を出て母のもとに戻った。ただ、ともに遊びたいという子供ながらの想いは残ったままであった。