台湾に生まれ八歳で日本へ台湾生まれのお坊ちゃん昭和十二(一九三七)年七月二十日、私は台湾の台中市で生まれた。この年は日本にとって、その後の歴史を振り返れば、大きな転換期となった年であった。私が生まれる直前の七月七日に中国で盧溝橋事件が起こり、これが引き金となって日中戦争が勃発している。さらに第二次世界大戦へとつながり、まさに世界と日本が大きく変容し、戦争という荒波に飲み込まれようとしている時代に…
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エッセイ『波乱万丈、どぎゃん苦にも負けんばい』【新連載】阿南 攻
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エッセイ『77才からの便り 晩送歌』【第9回】岡田 京子
コロッケ1つが4日分のおかず…小学生時代の壮絶な食事事情
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消えてしまった1人の工員…「現場のチームワーク」を体感した出来事
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エッセイ『キミがいるから私は』【最終回】近藤 姫花
「朝起きたら、一番に家の匂いがする」安心感…退院して戻った日常
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エッセイ『77才からの便り 晩送歌』【第8回】岡田 京子
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エッセイ『共生感謝録』【第12回】藤田 慶喜
常にフル生産が要請されていた広畑製鉄所の「ワンワン運動」とは
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エッセイ『キミがいるから私は』【第11回】近藤 姫花
4年3組のみんなより…と書かれた手紙にあった「凄まじいメッセージ」
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70歳になった今でも切ない…留置所に入れられた母からの「初めてのお土産」
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エッセイ『共生感謝録』【第11回】藤田 慶喜
富士製鉄の留学制度で東北大学へ…緑豊かな仙台での思い出を振り返る
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エッセイ『キミがいるから私は』【第10回】近藤 姫花
「ごめんね、もう一度手術をします」医師から告げられた衝撃の言葉
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「産みの母と育ての母とどっちがええねん」5歳の少女に突き付けられた言葉の真意
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エッセイ『共生感謝録』【第10回】藤田 慶喜
生まれ育った東京を離れて姫路へ…富士製鉄入社当時の思い出
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エッセイ『共生感謝録』【第9回】藤田 慶喜
巡検旅行に手書きの論文…東京大学で過ごした思い出を振り返る
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エッセイ『キミがいるから私は』【第9回】近藤 姫花
「手術するんだー!」この気持ちを代弁してくれる言葉は、きっと教科書には載っていない
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エッセイ『77才からの便り 晩送歌』【第5回】岡田 京子
大きなあめ玉をカナヅチで割る少女…「7つ」に割っているワケ
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エッセイ『共生感謝録』【第8回】藤田 慶喜
麻布中、麻布高、東京大学…厳しい受験を乗り越えた“先”にあったこと
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エッセイ『キミがいるから私は』【第8回】近藤 姫花
「4年生の春、大逆転が起きた」はじめての、みんなと同じ体育の授業
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エッセイ『77才からの便り 晩送歌』【第4回】岡田 京子
「なぜ憶えてしまっているんだろう」父の愛人に切り刻まれたあのセーター
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エッセイ『共生感謝録』【第7回】藤田 慶喜
国内外のトイレを掃除する活動?参加して気付いた「意外な事実」
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エッセイ『キミがいるから私は』【第7回】近藤 姫花
「あなたは周りと違うのよ」心疾患の小学生は泣き出して…