【前回の記事を読む】戦争が拡大していく時代の中…台湾にいる日本人はどんな生活を送ったか?台湾に生まれ八歳で日本へ台風の中を船で日本へ戦争に関わる記憶といえば、家の庭に大きな防空壕があったことだろうか。何かあれば、ここに駆け込んで避難することを教えられたが、一度も利用することはなかった。父は一度は兵隊に取られたものの、数か月ほどですぐに戻ってきた。どんな身分の人かはわからないが、政府や軍との付き合…
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エッセイ『波乱万丈、どぎゃん苦にも負けんばい』【第2回】阿南 攻
豊かだった台湾の暮らしから一変…敗戦後に日本に引き揚げた家族の実録
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エッセイ『77才からの便り 晩送歌』【第10回】岡田 京子
「養母の愛する人が私の布団に」…小学生が受けた壮絶な日々
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エッセイ『波乱万丈、どぎゃん苦にも負けんばい』【新連載】阿南 攻
戦争が拡大していく時代の中…台湾にいる日本人はどんな生活を送ったか?
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エッセイ『77才からの便り 晩送歌』【第9回】岡田 京子
コロッケ1つが4日分のおかず…小学生時代の壮絶な食事事情
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エッセイ『共生感謝録』【最終回】藤田 慶喜
消えてしまった1人の工員…「現場のチームワーク」を体感した出来事
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エッセイ『キミがいるから私は』【最終回】近藤 姫花
「朝起きたら、一番に家の匂いがする」安心感…退院して戻った日常
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エッセイ『77才からの便り 晩送歌』【第8回】岡田 京子
小学生の娘が悟った…母が「私の顔もろくに見ず、一心不乱に働く」理由
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エッセイ『共生感謝録』【第12回】藤田 慶喜
常にフル生産が要請されていた広畑製鉄所の「ワンワン運動」とは
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エッセイ『キミがいるから私は』【第11回】近藤 姫花
4年3組のみんなより…と書かれた手紙にあった「凄まじいメッセージ」
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エッセイ『77才からの便り 晩送歌』【第7回】岡田 京子
70歳になった今でも切ない…留置所に入れられた母からの「初めてのお土産」
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エッセイ『共生感謝録』【第11回】藤田 慶喜
富士製鉄の留学制度で東北大学へ…緑豊かな仙台での思い出を振り返る
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エッセイ『キミがいるから私は』【第10回】近藤 姫花
「ごめんね、もう一度手術をします」医師から告げられた衝撃の言葉
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エッセイ『77才からの便り 晩送歌』【第6回】岡田 京子
「産みの母と育ての母とどっちがええねん」5歳の少女に突き付けられた言葉の真意
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エッセイ『共生感謝録』【第10回】藤田 慶喜
生まれ育った東京を離れて姫路へ…富士製鉄入社当時の思い出
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エッセイ『共生感謝録』【第9回】藤田 慶喜
巡検旅行に手書きの論文…東京大学で過ごした思い出を振り返る
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エッセイ『キミがいるから私は』【第9回】近藤 姫花
「手術するんだー!」この気持ちを代弁してくれる言葉は、きっと教科書には載っていない
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エッセイ『77才からの便り 晩送歌』【第5回】岡田 京子
大きなあめ玉をカナヅチで割る少女…「7つ」に割っているワケ
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エッセイ『共生感謝録』【第8回】藤田 慶喜
麻布中、麻布高、東京大学…厳しい受験を乗り越えた“先”にあったこと
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エッセイ『キミがいるから私は』【第8回】近藤 姫花
「4年生の春、大逆転が起きた」はじめての、みんなと同じ体育の授業
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エッセイ『77才からの便り 晩送歌』【第4回】岡田 京子
「なぜ憶えてしまっているんだろう」父の愛人に切り刻まれたあのセーター