二〇一五年十二月十三日(日)その晩のことである……。私の部屋に入って来た母が言った。「親というものはね、子供のためだったら鬼にも蛇にもなるんだよ。我が子を助けない親はいないんだから……。でもね、お母さんが出来るのはここまで。あとはお前の問題だよ。だから、明日からは愚痴も泣き言も口にしないこと……」翌日、登校するなり正が因縁をつけてきた。「子供の喧嘩に親が出てくるなんて汚ねぇだろう……」と、私の肩…
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エッセイ『ありがとうをもう一度』【第17回】残間 昭彦
「うちの子も人の子もない、叱る時は叱る」母は剛毅に笑った。
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エッセイ『認知症の母を支えて 103歳を元気に迎えるまでの工夫』【最終回】石塚 武美
「足は20歳。顔は100歳」冗談が通じるほど回復した母。
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エッセイ『認知症の母を支えて 103歳を元気に迎えるまでの工夫』【第19回】石塚 武美
しゃべるおもちゃのネコや犬と遊んで母、ニッコニコ
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エッセイ『ありがとうをもう一度』【第16回】残間 昭彦
ただ、それだけの、最後になるかもしれないバースデイ
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エッセイ『ありがとうをもう一度』【第15回】残間 昭彦
新しく産まれ育ってゆく命と、老いて病いを得ていく命の交差点
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エッセイ『ありがとうをもう一度』【第14回】残間 昭彦
「たいていの病気は良くなる」兄は医療機器を抱えて病室に来た
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エッセイ『認知症の母を支えて 103歳を元気に迎えるまでの工夫』【第18回】石塚 武美
103歳の母。楽しく元気に過ごせるよう毎日続けたこととは?
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エッセイ『認知症の母を支えて 103歳を元気に迎えるまでの工夫』【第17回】石塚 武美
認知症の母の脳内で、強い刺激と感激が起きたのは間違いない。
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エッセイ『ありがとうをもう一度』【第13回】残間 昭彦
看護師たちの挨拶に涙…母は「ただいま」と言って笑顔を返した
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エッセイ『ありがとうをもう一度』【第12回】残間 昭彦
「心の財だけは来世へ持ち越せる」迫る死を覚悟した母の境地
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エッセイ『認知症の母を支えて 103歳を元気に迎えるまでの工夫』【第16回】石塚 武美
「何としても知りたい!」 名前だけを頼りに祖父の生家を探す
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エッセイ『認知症の母を支えて 103歳を元気に迎えるまでの工夫』【第15回】石塚 武美
母はハイカラでやり手の商売人。父は婿入りの算数教師。
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エッセイ『ありがとうをもう一度』【第11回】残間 昭彦
嘘の放射線治療をする…「お母さんを騙すしかないでしょう」
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エッセイ『ありがとうをもう一度』【第10回】残間 昭彦
私は医師にキレた…「最善を尽くしますという一言がほしい」
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エッセイ『ありがとうをもう一度』【第9回】残間 昭彦
いくらお医者さんでも息子でも、わたしは恨むからね……
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エッセイ『認知症の母を支えて 103歳を元気に迎えるまでの工夫』【第14回】石塚 武美
認知症の母の代わりに「鹿沼高校」へ足を運んだあの日
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エッセイ『認知症の母を支えて 103歳を元気に迎えるまでの工夫』【第13回】石塚 武美
5000円なんてけちけちしないで私の通帳からおろして
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エッセイ『ありがとうをもう一度』【第8回】残間 昭彦
まだ何も始めていませんので万策つきたわけではありません
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エッセイ『ありがとうをもう一度』【第7回】残間 昭彦
何とかして生きようとするのが人間じゃないか。
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エッセイ『認知症の母を支えて 103歳を元気に迎えるまでの工夫』【第12回】石塚 武美
「こんなところで役立った」認知症の母にマッサージを続けたら