ここで横道にそれますが、「水のバプテスマ」を聖礼典としていることの間違いを述べます。「生まれ変わり」の本質は、「今までの自分」という人格が「死んでいなくなり」、「救い=[天の権威を行使できる立場]を得た新しい人格」になることですが、この霊的変化は、「水のバプテスマ(悔い改め)」では得られないからです。「生まれ変わった」ことの根拠は、「イエス・キリストとの血の契約」によって、自分の身体の中に「イエ…
[連載]「天に携挙されるクリスチャン」になるには
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評論『「天に携挙されるクリスチャン」になるには』【第18回】古山 パウロ 誉主吾
【キリスト教・聖書】「古い人は死んで新しく生まれ変わる」―その本当の意味を知っていますか?
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評論『「天に携挙されるクリスチャン」になるには』【第17回】古山 パウロ 誉主吾
キリスト教は「血の契約」をベースに神様と人との関係が成立している「ビジネス」
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評論『「天に携挙されるクリスチャン」になるには』【第16回】古山 パウロ 誉主吾
「神様は、全人類の身代わりとして、イエス・キリストに血を流させ死なせました。」人類が神様と「血の契約」を交わすためには…
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評論『「天に携挙されるクリスチャン」になるには』【第15回】古山 パウロ 誉主吾
信仰=契約への第一段階として、イエスの死はすべての人を平等に贖う 平等こそが、信仰の選択へつながる
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評論『「天に携挙されるクリスチャン」になるには』【第14回】古山 パウロ 誉主吾
イエス・キリストの死とよみがえりで、誰でも神の前に立つことが出来るようになった
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評論『「天に携挙されるクリスチャン」になるには』【第13回】古山 パウロ 誉主吾
サタンの手中にあった「この世の支配権」はアダムが園を守っていなかったから!?
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評論『「天に携挙されるクリスチャン」になるには』【第12回】古山 パウロ 誉主吾
神様の態度が変わった?旧約・新約で変化した「地上の支配者」
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評論『「天に携挙されるクリスチャン」になるには』【第11回】古山 パウロ 誉主吾
「霊的幼児」から脱却!「神様との霊の関係性とその知識」を確立する
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評論『「天に携挙されるクリスチャン」になるには』【第10回】古山 パウロ 誉主吾
救いの根拠が「十字架=罪の赦し」である受け身の関係性から脱却する!
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評論『「天に携挙されるクリスチャン」になるには』【第9回】古山 パウロ 誉主吾
「罪の赦し」はキリスト教のスタート地点。その先に待っている義務とは?
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評論『「天に携挙されるクリスチャン」になるには』【第8回】古山 パウロ 誉主吾
「イエス・キリストに何かをしてもらうため」に祈り求めるものではないのだ!
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評論『「天に携挙されるクリスチャン」になるには』【第7回】古山 パウロ 誉主吾
初心者から成長するためには?霊的自主性と権威を獲得するための「自己認識の跳躍」
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評論『「天に携挙されるクリスチャン」になるには』【第6回】古山 パウロ 誉主吾
「神様の言葉に矛盾や混沌はなく、すべて筋が通っている」そのゆえんは「創世記」にあり!
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評論『「天に携挙されるクリスチャン」になるには』【第5回】古山 パウロ 誉主吾
『日本人は「悟り」を成長の手段としているゆえに、「キリスト教の本質」にまでたどり着けない』!?
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評論『「天に携挙されるクリスチャン」になるには』【第4回】古山 パウロ 誉主吾
裁かれるのは神に逆らう不信仰者「必ず人が問題の発生源」となるワケ
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評論『「天に携挙されるクリスチャン」になるには』【第3回】古山 パウロ 誉主吾
クリスチャンは「自分が創り上げた信仰」を認識するべき
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評論『「天に携挙されるクリスチャン」になるには』【第2回】古山 パウロ 誉主吾
「救いの確かさ」を把握していない多くのクリスチャン…信仰を論理的に証明するには
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評論『「天に携挙されるクリスチャン」になるには』【新連載】古山 パウロ 誉主吾
「確信ある信仰」を持つには…「信仰」の定義を洗い直さなければいけない理由