第4章 血の契約とは
しかし、「血の契約」ではそれが責務とはならず、「自分から喜んでする自分のための努力」として捉えるべき内容になるのです。それはなぜなのでしょうか?
この論理を詳しく説明するため、A、Bという2人が、血の契約を交わした例を述べます。
この時、「血の契約」の当事者A、B同士には、それぞれ相手方の血が混じって流れるので、Aは「A+B」という新しい人格になり、Bは同時に「B+A」という人に生まれ変わることになります。その結果、Aにとって、「相手方Bの要望は、ABとなった自分自身の叶えたい要望になる」のです。Bにとってもこの条件は同じです。
双方とも新しい人格ABとBAになっており、
「血の契約」では、「古い人AとBは、もはや存在しない」のです。
この点が一般の契約と決定的に異なるポイントです。契約の相手となる人物が自分自身に同化するから、過去の自我を持つ個人はもはやいなくなり、お互いの義務であったことが、それぞれ自分がしたい願望に変化するのです。
そして、ABとなったAが「Aとしては実現できない要望」を持った時、もしそれが他方のB(BA)ができるのであれば、Aの血は、新しい人格BAになったBの中にも流れているので、その要望は当然B自身(BA)のなすべき行動に変わり、しかも喜んですることになります。それは、BAの身体の中のAの血が、そうしてくれと要求してくるからです。
現実的に個別の人間AとBとは生きているけれども、この二人の間では「同一人格」といってよい、ABとBAとしか認識できない存在になっているのです。この関係性は、第3者がとやかく言っても、変わるものではありません。
これが、血の契約の義務と祝福との関係であり、互いに相手方に利益をもたらすよう相手方の求めるところを補い合う行動を取るのですが、自分の血と混ざり合って不可分となった相手方が発する内なる要求だから、それは自分のためにする行動に変わるのです。
Aがイエス・キリストであり、Bがあなたとすると、古いあなたはもはや存在せず「イエス・あなた」という新しい人格になったのであり、あなたに内在するイエス・キリストが持つ「天の権能」を、この世で使うべき者になっているのです。
そして当然のこと、サタンに勝利する権能(聖霊)が約束されているから、サタンがもたらす苦難に「イエスの名」でチャレンジして勝利し、栄光を神様に帰すのです。