第2章 信仰の根拠は主イエスとの 「霊の一体性」
あなたの救い主イエス・キリストは今、どこにいるとあなたは認識していますか?
聖書には「天で神の右に座している」と書かれています。だからあなたもそのように教えられてきて、そう答えたと思います。キリスト教一般教理として全く正しい解釈です。
私たちは、よみがえった主イエスが「天で生きている」ことを真理として信じています。
そうすると、「救いの実現についての霊の関係性」では、イエス・キリストとあなたは、「天」と「地」とに離れて存在しているから、強固な霊的連帯者としての主イエスに、自分が認められているかどうか、極めて不確実な推測と願望しか持てないことになります。
何故なら、それは2者の関係性なのに、自分の気持ちのあり方でしかないからです。
従ってそれは「信じています」という言葉にしがみつくだけの心許なさです。
それなら「何を信じているの?」と問われて、聞かされていた入信の福音を答えても、その論理的根拠を「法律的な権威あるもの」として説明できません。
さらにその根本を探ると、《「十字架の働き」の霊的目的が、入信へ誘う福音》なのであって、まだ個人的な「関係性が成立していない」からです。
以下の文章は、クリスチャンが神の子として霊的成長するための、ステップアップガイドです。その目標は、「信じる」ことの内容を第3の義にすることです。
ここでは初心者レベルから成長することを目的に論じています。誰の信仰をも非難や否定をしているのではありません。
より優れた霊的祝福として、「天に携挙される確信」と「心の平安」とを実現していただきたいからですが、受け入れるのも受け入れないのも、一人ひとりの自由意志として神様は許容しています。
神の子としての霊的自主性と権威を獲得するための、「自己認識の跳躍」の手段をお知らせします。それが神様との霊的関係性として、「天に引き上げられる根拠」になります。
* 自分の信仰を堅固なものにするためには、自分が確信できる「神様の側からの証印」が必要です(ジャン・カルヴァンはその根拠を「神の選び」に求めましたが、その行き着く先は操り人形・運命論なので正しくありません。それは神様自身が定めた自由意志の定理に反するからです)。
人が生きている間は、その霊は天に昇れないので、主イエスと「霊の交わり」をしているとしても、主イエスからの証印を《人の側から人智的に》得ることができません。それでは何があなたの霊における「信仰の根拠」なのでしょうか? 神様の「憐れみ」が根拠ですか?