第3章  神様が用いる手段は「血の契約」 

B.「主」とは、「神」を信じ自分の主と受け入れて信仰を守る人に対して、「神」がその人の言い分を対等の立場で聞いてくれる姿。信仰を持つ人だけが持てる霊的関係によって使う呼び名。

「創世記」18:16節から33節までの、アブラハムが主に譲歩を願った時の姿。

C.「神である主」とは、表面上は「神=主」であるが、本質は、人に対して上の意味での「主」でありながら、別の一面では「神」としての権威と厳しさで臨んでくる時の呼び名。「創世記」2:4~3:24節で、アダムの言い分を「主」として受け入れながらも、「神」としての権能を振るわなければならなかった時の立場(〈脇(の骨)で繋がっていた女を〉男から分離して造り上げた(バナー)こと(創造のバーラーではない)。

この3種類の呼び名の違いの霊的背景を知って『旧約聖書』を読むなら、神様の性質・性格が正しく理解できます。解釈論において主語の違いを「書かれた年代が違う」とか、「著者が別々だから」などとする論説は著しい霊的欠落です。

尚、現代キリスト教ではその呼び名が「天の父なる神」となり、「主」と呼ばれる対象がイエス・キリストになります。

神様は旧約聖書の主でありながら、「天のお父さん」というさらに親密な関係となって、クリスチャンの要望を〔親子の関係〕の中で聞いてくださるのです。