この段階では、人類は神様と契約したのではなく、神様の憐れみによるイエス・キリストの「血の贖い」によって、アダムの原罪が赦されて「第1の義=原罪がない者」とされ、契約が交わせる前提条件が整っただけの状態です。
この後、復活したイエス・キリストが天に昇り、契約の仲介者となってくれたので、これら一連の神様とイエス・キリストの働きを信じてそれを告白した人が、「血の契約」を交わした霊的関係とされ、「生まれ変わって」「救われた人(第2の義)」となるのです。
主イエスが天で生きているから、「血の契約」が交わせるのです。キリスト教典礼の聖餐式の本来の目的です。
*そうすると厳密には、キリスト信仰として「実効性のある霊の関係性」を持つには、「イエス・キリストとの血の契約」によってのみ、実現するのです。ですから信仰告白によって「イエスの名につくバプテスマ」を受けた時に、本来なら続いて聖餐式を行って、「血の契約」を実体験することが、正しい典礼となる筈です。
「Ⅰテモ」2:5 神は唯一であり、神と人々との間の仲介者もまた唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。
「ヘブル」8:6 しかし今、キリストはさらにすぐれた聖職を得られました。それは彼が、より良い約束に基づいて結ばれたより良い契約の仲介者でもあるからです。
「ヘブル」9:15こういう理由で、キリストは新しい契約の仲介者です(後略)。
同意節「ヘブル」12:24。
【前回の記事を読む】信仰=契約への第一段階として、イエスの死はすべての人を平等に贖う 平等こそが、信仰の選択へつながる