第3章 神様が用いる手段は「血の契約」
そんな人類であっても、神様が罰することをなさらないのはなぜなのでしょうか。それは神様が人に完全な自由意志を与えているからであって、神様を否定する自由さえも保証されているからです。しかし最後の審判では霊の罪として「永遠の死」に裁かれます。
このようにイエス・キリストの死とよみがえりによる勝利によって、それまでサタンの支配下に束縛されていた(罪の状態にいた)全人類が解放されたので、人は誰でも神様の前に立って、自分の言い分を述べ立てられるようになり、それを神様は直接聞き入れてくれるようになったのです(第一段階=第1の義)。
つまり現在では、神様は「すべての人」を、「人(の霊)は罪を持たず、清い=罪を犯す以前のアダム」(第1の義)として認めてくださっています。これがイエス・キリストの十字架の死の目的であって、クリスチャンだけが罪の贖いを受けているのではありません。
なぜならそれは、新しい契約を成立させるために、①前提として神様はまず、全人類の霊を平等に贖い出す必要があったからです。
そして次のステップとして、②「自由意志によってイエスを主と信じる者」に、「個別」に「救いが与えられる」のです。