第2章 信仰の根拠は主イエスとの 「霊の一体性」

「罪の赦し」はキリスト教のスタート地点ですが、その先に「イエス・キリストの代理者」としての働きをする義務が待っています。ただ「潔められる」だけでなく、「聖霊のバプテスマ」を受けて、この義務を果たさないと、神様・主イエスからは「義」と認められません。 義務を果たさないなら、不実行の結果が自分に跳ね返ってくるのです。

*この新約聖書時代の〔実行を伴う救霊システム〕を信じることが大切です。これはパウロが「ガラテヤ人への手紙」で主張した「信じるだけ(これは割礼否定が目的だった)」とは、霊的レベルと内容が全く異なっているのを、私たちはしっかりと知る必要があります。

そしてさらにこの霊的齟齬の原因は、マルティン・ルターが「信じること」だけを

 

真理として、「宗教改革し、プロテスタント教派が誕生したこと」に端を発しているのです。

●冒頭の質問「あなた個人の主イエス・キリストはどこにいるか」の正解は、「あなたの身体の中」です。

聖餐式の杯で象徴される「血の契約を交わす」ことによって、あなたの身体に流れるイエスの血が、神の法律の下にあなたを神の子とし、天の権威を行使するイエス・キリストの代行者であることを絶対的に保証するのです。

この真理は、神の三一性そのものが、あなたの信仰によってあなた自身に実現していることです。「イエスの血」によって「神の霊の宿る宮」となり、「聖霊の臨在」が当たり前でなければならないのです。

このように、霊的立場が「義の人」に変えられるのです。

【NKJV】新欽定訳聖書「ヨハネ第1の手紙」

「Ⅰヨハ」5:7 天で証しをするものが3つあります。父と言葉(独り子)と聖霊です。これら3つは1つです。5:8 そして地で証しをするものが3つあります。

霊と水と血です。これら3つは1つとして認められます。

この2節は、「神の三一性」と「人との霊の一体性」が、新約聖書の中で唯一、証明されている箇所です。しかし複数の日本語聖書では正しく翻訳されていません。

従って多くの教会では、神様・主イエスとの霊的関係性の本質が語られず、「クリスチャン自身が神の三一性を保持している真理を掴めない」のです。そしていつまでも霊的幼児に留まらざるを得ない結果になります。