第四節 串本
彼女が帰ってくるまで少なくとも一年、恐らくは二年、私はここで彼女を待ちながら、自分の病気を治そうと思った。それからというもの、私は心の空しさを埋うめるように、明けても暮れても、ステップと言われる回復のプログラムに取り組んだ。しかし、Mは一年経たっても、二年経っても、――何年経っても帰っては来なかった。
五年目のある日、仲間の一人が持ってきた串本の写真に、Mがあどけない笑顔で写っていた。仲間は「Mは結婚したというが、……」と言って言葉を濁した。私もそのうわさは知っていたが、それはうそだと思っていた。なぜかというに、そんなことをしても、アル中で、摂食障害のMが、まともにやっていけるはずがないからだった。彼女の神経はすでにわずかな刺激にも耐えていられないほどに病んでいた。ジッとしていることさえできないような不安を秘めていたのだ。
だから、たとえ、Mは結婚したとしても、ささいなことで、スリップ(再飲酒)して、酒が止まらなくなるだろう。そうして、結婚生活は破綻して、彼女は不幸になるだろう。他にどんなあり様があるというのだろう。
Mは札幌の施設で一年目、ミーティングのプログラムを受けていたが、軟禁されていて、訪ねていった誰もが彼女に会うことはできなかったという。そして二年目、就労プログラムに入って仕事に就いたというが、そのうわさを最後にふっつりと消息を絶った。
四年目になろうとする頃、彼女のあとを追うようにして、札幌の施設に入所した女の子が、大阪に帰って来て、私に暗い知らせを伝えてくれた。Mはスリップして、札幌の病院にいるという。そして、それだけ私に告げてから、その女の子は不可解な自殺を遂げた。確かなことは何もわからなかったが、私の心に不穏な暗雲が垂れ込めた。
さらに一年ほどしたろうか。札幌の施設でMを担当していたスタッフが、大阪の施設を訪れた折、私は彼にMの消息を尋ねた。すると、彼は頓狂な声をあげた。
「ああ、あれ。あっ、どっかへ行っちまったよ。ここでも、そうだったんだろう?………」
私はその男に掴み掛かりたい衝動を抑えながら、どうしようもない悲しさと恐しさで胸が塞がれた。私には彼女の逃げたい気持ちはよくわかった。収容生活は男の私でも耐え難いのだ。しかし、死ぬと運命づけられた病を背負って、彼女はどこに逃げたというのだろう。
逃げて独りになれば、スリップするのが落ちだろう。酒を求めて当てどなくさ迷うMの困窮と堕落と悲惨は、必至であると思われた。そして、私は醜く変わり果てた彼女を想像して、彼女を受け入れ難いという気にもなった。
しかし、私が女に生まれていたなら、やはりMと同じような生き方をするとも思ったのだ。Mがどうなったか、思いは巡って尽きなかったが、何をどう想像しようと、私はその現実に対して無力だった。
Mは身も心も引き裂さかれて、死に向かって去っていっただろう。たとえ、まだ生きているとしても、以前の姿で私のところに帰って来ることはないだろう。すべてはただ私の心に刻まれた疼くような哀惜の古傷を残しただけで、悲しみの霧の彼方に消えてしまった。もう二度と戻っては来ないのだ。
――そして、それからまた幾歳か過ぎ越して、もう彼女のうわさも消息も語る者はいなくなった。人はそうやって消えていくものなのだろうか。