第四節 串本
Mはアルコール中毒と摂食障害の合併症の女の子で、十代に発症して数年前にこの施設に来てからは、三ヶ月ごとに施設から脱走しては、スリップと云われる再飲酒を繰り返してきたという。そして、そのつど、警察に捜索願いを出されては捕まって、施設に連れ戻されて来たという。
私が施設に入ったのと同じ月に、彼女も施設に帰って来ていたので、私と彼女は偶然、一緒に同じ扱いを受けることになった。二人机に並んだ小学生のようなものだった。
Mは小柄で可愛らしかったが、ちょっと触れただけで傷ついてしまいそうな、そんな危うさを秘めていた。誰かが傷ついたりしないかとハラハラしながら生きているような優しさが、施設の収容生活に耐えていられないのは明らかで、その痛々しさが哀れを誘った。
やがて、私は彼女が施設から脱走して居なくなる度に、大阪の赤線で売春をしている、といううわさを耳にした。私は初めそんなうわさを信じなかった。それほど彼女は可憐だったのだ。そのうち、それが本当だとわかってきても、それでもMが自らを欺いているとは思わなかった。売春はここから逃げ出して生きていけなくなったMの致し方ない生き方だった。
他に生きていくすべを見出せなかったのだ。彼女は絶望から逃げようとしてアルコールを飲み、そして、アルコールに囚われることによって、身を委ねるしかなかったのだ。しかし、それによって彼女は純情さを失うことはなかったのだ。Mは人を愛することしかできない、いかにも弱い女だった。
私はMと並んで生活するようになってからしばらくして、Mが傍にいると、不思議な気持ちになることに気がついた。彼女の体の中から子供の頃に聞いた母の心臓の音が、私に伝わって聞こえてくるように思えるのだった。その喘ぐような鼓動は、何かしら寂しさと苦しさの中に、安らぎを秘めていた。
幼い日に不安や焦燥を感じると、母にしがみついていたように、私はMの傍傍を離れられなくなっていった。私は彼女に仄かに漂う母の匂いを嗅いだのだった。
そして、偶然、私とMとが顔を合わす度に、二人して見つめ合っては、同じようにクスクスと笑い合った。そして、Mは「へへんだ、へへんだ」と顎をしゃくって私を見上げた。
二人の間にそんな密やかな関係ができ掛けた頃、彼女は衆人環視のミーティングの中で、突然、「私は隣の人(私)と一緒に飲まないで生きていくのです」と宣言して皆を驚かせた。あとで、私がそっと自分のロザリオをMに手渡してやると、彼女は目を輝かせて喜んでいた。