しかし、その夜、Mは施設から逃亡して行方知れずになった。突然、去っていったことはいかにも不可解だった(私は知らなかったのだが、彼女は興奮するとスリップするのだという)。私は母を失った子供のように泣いて、涙が三日三晩止まらなかった。私のまなこは涙の塩で真っ赤になり、目の周りも赤く腫れあがった。
私の憂いは二ヶ月ほどして、Mが帰って来るまで続いた。Mは施設の入口のところまで戻って来て、泣き出そうとして、両手を両目の上に上げたところで、私とばったり出くわした。驚いたMは子供のように泣き出しながら、「わあー」と歓喜の声をあげて笑い泣きした。
それからというもの、彼女は傍若無人にしがみつくように、私に寄り添って過ごすようになった。施設での恋愛は禁じられていたが、誰も我々を咎めなかった。処遇は内密に決められたようで、Mはしばらくして依存の対象から引き離すためか、札幌の施設に送られることになった。
その日が来るまで、Mは私の影に隠れるようにして、私と飯事遊びをして遊んだ。白い小さな指でミカンの皮を剥くと、私に渡して、「私、トシさんのような兄さんが欲しかったの」と、妹のような仕草をして甘えた。そして、おずおずと、自分の過去について語った。
「お父さんはお医者なの。私は家業を継ぎたい、と思っていたんだけど、学校では思うような成績を上げられなくて、……それで苦しくなると、お酒を飲むようになっていたの」
そして、ふと思い出したように、
「成人式の日に、酔っぱらって、せっかく誂えてもらった晴れ着を着られなかったの。………。それからね。おばあちゃんと酒瓶を取り合って、取っ組み合いのケンカをしたの」
そんなことを話して、Mは恥ずかしそうに下を向いて笑った。そして、自分がこんなふうになって、悲しんだお父さんに「お前なんか、富士の樹海に入って死んでしまえ」と言われたと寂しそうに呟いた。
――私が札幌行きを断るように言うと、Mは「私にはできない」と言った。もう一度、断るように言うと、もう一度「私にはできない」と言って泣いた。そして、最後に「帰ってきたらよろしく」と言い残して、札幌に去っていった。