【前回記事を読む】親不孝のかぎりを尽くし母を泣かせた私。自分の死を予感するようになり母の骨を手に入れようと姉に頼むと…

第一章 悲の断片

第二節 友の死

アル中の施設に入(はい)った私を待っていたのは、厳(きび)しい収容生活だった。楽しみと言えば、月に一度、仲間たちと一キロほど離れたビルの中のスパ温泉に行(い)かせてもらえることだった。そこには作り物の岩風呂があって、日(ひ)がな一日、その湯に浸(つ)かって、よく思い出に耽(ふけ)った。

岩風呂と言えば、私の住んでいた倉吉から少しく山奥に入った湯原(ゆばら)湖の近くにいいところがあった。その峡谷(きょうこく)のダムの下から流れ出る大川に沿(そ)った河川敷(かせんしき)に、露天の岩風呂が数珠繋(じ ゅずつなぎ)に続いていた。

その川下(かわしも)には箱庭のような湯原の街並(まちな)みが、明治か大正の昔に帰ったような鄙(ひな)びた佇(たたず)まいを、湯煙の中に覗(のぞ)かせていた。この昔ながらの温泉街(まち)で、友人のKとよく飲んで遊んでは、露天の岩風呂に入った。

Kは私の友達にしては珍(めずら)しく成功した男で、数億の遊び金を持っていたが、すでに癌(がん)を患(わずら)っていて、あとは死ぬばかりの人生を、酒と共に飲み干(ほ)そうとしていた。

Kは「付(つ)いてきてくれるか」ポツリと口にした。彼は私に巡り逢(あ)って、私を死出の旅路の道連れにしようとしたのには違(ちが)いなかった。Kは夜ごとに山の中の私の家を訪(おとず)れては、両手に抱えてきた酒と食糧で自分勝手に酒宴(しゅえん)を開いて遊んでいった。

当時の私はと言えば、自分の店を破産させたばかりで、家族も財産も失って、なかばその日暮(ひぐ)らしのバイト生活を送っていた。Kはそんな私に飲み食いの相手をさせ、いい話し相手を見(み)つけたというように喜(よろこ)んでいた。

Kによれば、彼の先祖は馬一頭連れて、犬挟峠(いぬばさりとうげ)の麓(ふもと)に流れ着いた流れ者だったという。そして、その馬で峠を登る旅人とその荷物を運び、稼(かせ)いだ銭で田圃(たんぼ)を買っていったという。

そうして何代か経(へ)るうちに、いつしかその辺(あた)り一帯の地主(じぬし)になっていたという。彼の父はその財(ざい)で士官学校を出て、終戦の混乱時には、満蒙(まんもう)開拓団の引き揚げに功あって、この地の名士(めいし)になっていたという。

そしてKは、父の死後、その富を受け継ぎ、農業を営(いとな)みながら、小さな商売にも成功し、いつしか無聊(ぶりょう)をかこつ遊(あそ)び人になっていた。