本作は二〇二一年八月に小社より刊行された『追憶〜あるアル中患者の手記〜』に加筆・修正したものです。
第一章 悲の断片
第一節 母の思い出
一九七三年の春まだ浅い頃、学生だった私は東京から長崎を旅した帰途(きと)、山陰路に入って、母の住む倉吉に立ち寄(よ)った。母はこぼれるような笑みを浮かべて私を迎(むか)え、私が一泊した翌日、別れを惜しんで、花霞(はながすみ)に煙(けむ)る打吹山(うつぶきやま)の桜の園(その)に私を誘(いざな)った。
その日は春一番にも似(に)た強い風が吹いていて、夥(おびただ)しい桜の花びらが流れるように風に舞い散っていた。私は母と一緒(いっしょ)に公園のベンチに坐(すわ)って、体が凍(こご)え切るまで桜の並木を見て過(す)ごした。
その頃の私はと言えば、学生運動から落伍して、東京の巷(ちまた)に息を潜(ひそ)めて暮らしていた。かつての仲間が惨殺(ざんさつ)されたというニュースを、背中で聞き流しては心を凍(こお)らせた。そんな心の闇(やみ)を桜の花吹雪が吹き抜けていった。
満開の桜は風にそよぎながら笑っているようにも、泣いているようにも見えた。降(ふ)り注ぐ花びらが流れ落ちる涙のように見え、死んだ友の亡霊(ぼうれい)がその中に浮かんでいるようにも見えた。私はいつになく感傷の涙を流して桜に見惚(みと)れ、そして、生まれて初(はじ)めて、桜を美(うつく)しいと思った。
そんなことがあってから数年経(た)ったとある秋の日の夕暮れ、私は東京の下宿を引き払って、母の居(い)る倉吉に住み着くために帰郷した。母はそんな私を不思議なほど無表情に迎(むか)えた。私が帰ってきた理由がわからなかったのだ。
しばらくして、母は読書に勤(いそ)しむ私を山歩きに誘い出した。小春日和(こはるびより)のやわらかな秋の日射しが、木々の枯葉を透(す)かして、幾筋も地面に降(ふ)り注ぎ、その斑模様(まだらもよう)の日溜(ひだま)りが、風のそよぎと共に揺れ動いた。
そんな木洩(こも)れ日の群れ遊ぶ山際(やまぎわ)の小道を、母はタッタッと駆(か)け上がって、少しく小高くて平らなところまで登り詰(つ)めると、はじけるような声をあげて笑った。「まだこんなに若いのだ、まだこんなに元気なのだ」と、見(み)せてみたかったのだ。