【前回記事を読む】小春日和の下、山際の小道を駆け上がりはじけるような声をあげて笑う母――しかし、それが私の覚えている母の最後の笑顔となった

第一章 悲の断片

第一節 母の思い出

私は母のことを忘れようとし、母からの手紙を封(ふう)も切らないで捨てていった。ふと電話してきた姉の話によれば、母は惚(ぼ)けてなどいないで、姉の末娘とよく遊んで、私について思い出話をしているという。

私は意外に思(おも)ったが、何を今更(いまさら)と思うよりほかなかった。それに私のアル中は年と共に進行し、四十代もなかばを過(す)ぎると、末期的になっていた。そんなふうで、私は一度は帰ろうとした母を頑(かたく)なに拒(こば)んで受(う)け容れなかった。

そしてそれら母のことごとを、ほとんど無感覚に受け流していった。そして母は姉のところで六年過(す)ごしてから肺炎を患(わずら)って死(し)んだ。

その日、私はそうとは知らずに、夜明け前の仕事を終えて帰る途中(とちゅう)、不意に記憶を失って、どうしていいのか分からなくなり、仕方(しかた)なく酒を飲んで、そのまま公園で眠(ねむ)ってしまった。

昼下がりになって目覚(めざ)め、記憶が戻っていて安堵(あんど)したものの、そんな自分を訝(いぶか)しく思ったものだった。それが母の死んだ頃のことだったと気(き)が付いたのは、またずっとあとになってからのことだった。

母の訃報(ふほう)が入ると、私は母を捨てた罪の意識から酒に酔い痴(し)れ、葬式に立とうとしても立てなかった。そして、酒と共に孤独の闇(やみ)に沈むことが、なぜか母に対する私の愛情のように思って涙した。

そのまま酩酊(めいてい)して意識を失い、翌朝、ブラックアウト(記憶喪失)の中に目覚めると、不安から逃(のが)れるように酒を口に含(ふく)んで仕事に出かけた。

そうこうして、ぼんやりした母の記憶を懐(いだ)いたまま、一週間ほど酒に溺(おぼ)れて宿酔(しゅくすい)の中に過ごしたろうか。知人から改(あらた)めて母の死を告げられて、不思議な驚きをもって、それを受け止(と)めた。知人たちは親の葬式を投げた私を外道(げどう)とも極道(ごくどう)とも呼んだ。