【前回記事を読む】母を拒絶し厄介払いにして、酒を飲む日々。母のことごとを、ほとんど無感覚に受け流していった。そして母は肺炎を患い...

第一章 悲の断片

第一節 母の思い出

幼い日には、母から離(はな)れては恐れと戦(おのの)きに苛(さいな)まれた。母を見失って何度泣いたことだろう。母にしがみついて歩いた米子の街路。故郷(ふるさと)の峠道。母の手を握(にぎ)って待った夜の停車場。

その線路脇には、街灯に照らされて、月見草が仄(ほの)かに黄色い花を咲(さ)かせていた。母と一緒にいた思い出は巡って尽きなかった。幼(おさな)い私に野球のグローブを買ってくれた母。私の手を引(ひ)いて球場に連れて行ってくれた母。その外野席の草叢 (くさむら)で、母と一緒(いっしょ)に踏みしだかれたクローバーを一つ一つ起(お)こしてやった。

そんな母の思い出が募(つの)ってきた折り、私はふと若かった頃の母の笑顔を思い出した。母はまだ幼かった私の耳元に、そっと内緒(ないしょ)の話を囁(ささや)いた。

「おじいさんがね、お前は後生(ごしょう)よしだ。本当にトシは素直(すなお)ないい子だ、と言(い)ってらしたよ」

母は嬉(うれ)しそうに微笑(ほほえ)んでいた。――母は優しかった祖父の末っ子として生まれた。可愛(かわい)がられて育てられたが、いかにも弱かった。旧家に嫁(とつ)いで子を産んだものの、その子を残して里に逃げ帰った。その不幸を哀(あわ)れんだ祖父は、やがて母を人里離れた片田舎の、真面目なだけが取り柄(え)の男と再婚させた。

母はそこで私を産んだ。貧(まず)しいばかりの生活だった。母はその貧しさに向けられた世間からの侮蔑(ぶべつ)の視線にいつも怯(おび)えていた。母はそんな悲哀を重ねてきたが、最後にこんないい子を授(さず)かって、「あとは後生(ごしょう)よしとなるばかりだろう」というのが、祖父の願いでも、予感(よかん)でもあったのだ。

しかし、祖父の願いも予感も空しく外(はず)れてしまった。私は母から奪うだけ奪って、母を顧(かえり)みることもなく、不幸の中(うち)に死なせてしまった。何と大きな犠牲を払わせたことだろう。何と思いやることのなかったことだろう。そしてすべてが過(す)ぎ去ってから、母の悲しみを思って心を傷(いた)めるしかなかった。