後悔の念に襲われたのは、それからまた随分(ずいぶん)と、月日が経ってからのことだった。私は飲み屋(や)で酒を飲みながら、ふとよみがえってきた母の記憶に心を傷(いた)めて、「ああ、一度でいいから親孝行の真似事(まねごと)をして、御袋(おふくろ)の喜ぶ顔を見ておくのだった」と独(ひと)りごちていた。

酒を注(つ)ぎにやってきた若い女は、天井を見上げて「あら、皆(みんな)そうなのよ。親が死ぬと、親孝行(こうこう)をしてみたくなるものなのよ」と言って笑った。

私はよろずのことに無感動(むかんどう)になっていて、そんな月並みな感情に心が疼(うず)くことに、自分でも驚(おどろ)きながら、独(ひと)り酔い痴(し)れるまで酒を飲むしかなかった。

それから二年ほどして私の酒の中毒(ちゅうどく)は最終段階に入り、私はほとんどすべてを無(な)くして、雪に覆(おお)われた田舎の山野をさすらっていた。言い知れぬ恐れを背負った逃避行だった。すでに連続飲酒に陥(おちい)っていて、どうしても酒が止(と)まらなくて、反吐(へど)を吐(は)きながら、冷たくて苦(にが)い酒を飲み続けた。

やがて追い詰(つ)められて、死を捜(さが)し求めたが、死に切れなかった。そのまま行き場をなくして路頭(ろとう)に迷っていった。そして、行き倒(だお)れになる苦しみに堪(た)え兼(か)ねて、ただ一人の肉親である姉に助けを求めた。

死ぬことを諦(あきら)めて、恥を忍(しの)んで生きることを選んだのだ。自分の力で生きることも死ぬこともできなくなった悔(くや)しさで心が裂(さ)けたが、運を天に任(まか)せて、もはや考えなかった。

そして、助けに来た姉に導(みちび)かれて、大阪のアル中の施設の門を叩(たた)いた。私はそこに自分のすべてを委(ゆだ)ねて、やっと酒を止(や)めることができた。

酒が止まったと言っても、それから禁断(きんだん)症状の日々が続いた。まるで宙に浮かんで、霧の中をさ迷(まよ)うようだった。幻聴を聞いたこともあれば、幻覚を見たこともあった。それに飲酒と放浪でボロボロに傷(いた)んだ体は、容易にもとには戻らなかった。私はそこで自分が一人の廃人(はいじん)であることに、否応(いやおう)もなく、気付かされた。

落ち着きを取り戻(もど)すようになると、フラッシュバックが起こった。幼かった頃の泣(な)き出したいような、ハラハラした時の不安が、わけもなくよみがえってきて、心に取り憑(つ)いて離れなかった。

そのほとんどは母がいなくなることの不安(ふあん)だったが、母のドクドクという心臓(しんぞう)の鼓動が聞こえてくることもあって、妙(みょう)な心地(ここち)になるのだった。

 

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