時平の讒言に堕ちし道真は太宰府に移りつひにかへらず
*菅原道真(八四五~九〇三)は宇多天皇、醍醐天皇に仕えたが、藤原時平の「讒言」に拠り、延喜元(九〇一)年、太宰府に左遷され、その地で死去。
忠通は美福女院にもちかけたりいま頼長を除くべきかと
巧妙に仕くまれたれば都にはまことしやかに噂流るる
平安末期、国を二分する戦いが起こった。それは保元の乱と呼ばれる戦乱であり、古代から中世へと、貴族政治から武家政治へと時代を切り拓いていく端緒となった。
この乱の原因である天皇家と藤原摂関家の内紛から崇徳院の配流という結末までの経緯が詠まれた創作短歌を連載でお届けします。
時平の讒言に堕ちし道真は太宰府に移りつひにかへらず
*菅原道真(八四五~九〇三)は宇多天皇、醍醐天皇に仕えたが、藤原時平の「讒言」に拠り、延喜元(九〇一)年、太宰府に左遷され、その地で死去。
忠通は美福女院にもちかけたりいま頼長を除くべきかと
巧妙に仕くまれたれば都にはまことしやかに噂流るる