忠実は誓ひをまもるを諭したり氏の長者を譲りなされと
*久安六(一一五〇)年、忠実の裁定は頼長の左大臣の地位。頼長三十一歳、基実八歳の年の差からして、きわめて順当な人事であったといわれる。
【藤原摂関家の内紛】
いくたびも言葉をやはらげ諭したりされども忠通これに応へず
激震の地割れのやうに裂かれたり父子(おやこ)の溝はつひに埋まらず
平安末期、国を二分する戦いが起こった。それは保元の乱と呼ばれる戦乱であり、古代から中世へと、貴族政治から武家政治へと時代を切り拓いていく端緒となった。
この乱の原因である天皇家と藤原摂関家の内紛から崇徳院の配流という結末までの経緯が詠まれた創作短歌を連載でお届けします。
忠実は誓ひをまもるを諭したり氏の長者を譲りなされと
*久安六(一一五〇)年、忠実の裁定は頼長の左大臣の地位。頼長三十一歳、基実八歳の年の差からして、きわめて順当な人事であったといわれる。
【藤原摂関家の内紛】
いくたびも言葉をやはらげ諭したりされども忠通これに応へず
激震の地割れのやうに裂かれたり父子(おやこ)の溝はつひに埋まらず