神殿に矢を射かけるは重罪なり律令に拠り流罪にすべしと
*律令 奈良・平安時代は律令法制による統治。
山門と争ひ矢を射しわが祖父は呪ひの祈禱に殺められたり
*承徳(じようとく)三(一〇九九)年、藤原師通(もろみち)急死。
嘉保(かほう)二(一○九五)年、強訴撃退に際して、
神輿(しんよ)を射立て神人を殺害した、その祟(たた)りと信じられた。
かたくなに異議をとなふる頼長を鳥羽院いまやうとみはじめつ
平安末期、国を二分する戦いが起こった。それは保元の乱と呼ばれる戦乱であり、古代から中世へと、貴族政治から武家政治へと時代を切り拓いていく端緒となった。
この乱の原因である天皇家と藤原摂関家の内紛から崇徳院の配流という結末までの経緯が詠まれた創作短歌を連載でお届けします。
神殿に矢を射かけるは重罪なり律令に拠り流罪にすべしと
*律令 奈良・平安時代は律令法制による統治。
山門と争ひ矢を射しわが祖父は呪ひの祈禱に殺められたり
*承徳(じようとく)三(一〇九九)年、藤原師通(もろみち)急死。
嘉保(かほう)二(一○九五)年、強訴撃退に際して、
神輿(しんよ)を射立て神人を殺害した、その祟(たた)りと信じられた。
かたくなに異議をとなふる頼長を鳥羽院いまやうとみはじめつ