ドアのすぐ足元右側、テレビの前。パパが倒れている。

頬を触った。冷たい。私の絶叫で娘が下りてきた。

何をどうしたか、あまり覚えてはいないが、119に電話した。

私はうっすらと、これ夢だよね? こんな夢何回か見たし。

となると、

“パパが号泣している私を「ママ大丈夫? 起きて?」と、起こしてくれて” 一件落着。

“あー夢で良かった!”

ね? 夢だよね?? パパ起こして! 

救急車が来るまで、心配性のパパが家に置いていたAEDを119に電話を繋げたまま使った。

これを使うのは初めてだ。何回か受けた蘇生訓練のようにパパの肋骨の間を押した。

繰り返し繰り返し。骨が折れたんじゃないだろうか。これも夢だよね。

救急車が来た。

訳のわからないうちに、いろいろ聞かれたような気もするが、パパと、娘と私は救急車に乗っていた。

「大丈夫だよ、パパだよ! 大丈夫だよ」

12歳の娘が私の手を握りながら言っていた。何回も。

私は返事をしたんだろうか? 救急車の中で、三人に電話をかけた。

まずは、パパが院長のクリニックで弟のようにかわいがり、医院を任せていた東山先生。

次に、私たちの大事な井上先輩、そしてパパの兄に「パパが倒れて今病院に向かっている」と。

病院の名前は伝えた。どこの病院だったのか、今では名前も思い出せない。もちろん請求書や、見たくないのに何十回も見なければいけなかった死亡診断書を見ればわかるが。

病院に着いて、どこをどう通ってその処置室に着いたのかわからないが、処置室から私たちだけが出された。

今日から東京に来る予定の大好きな姪っ子に電話をして私は崩れ落ち、何を話したのか?

娘が電話を代わって話をしてくれていた。本当に心底情けない母だ。娘の方が辛く怖かっただろうに。

どれだけ時間が経ったんだろう。

処置室から呼ばれ、「もう蘇生は無理だからこれで終わっても……」みたいなことを言われ、「はい」と私は返事をした。するしかない。

何時間経っていたのだろう。救命士の方も先生も汗だくだった。私たちの気がすむまでなのか、奇跡が起こるかもしれない? なのか、頑張ってくれていた。

彼らにあの時私は「ありがとうございました」と言えたんだろうか?