【前回記事を読む】泣き続ける幼子を抱いて夜道を歩く20歳の男。自販機の脇には、唇から血を流す裸足の女が座っていた。目が合うと「オッサン、なんか用?」
Case:C 娘の選択
マシンガンのように質問を並べ立てられ、誤解を解くためにも言いたいことが山ほどあったが、まずは雛菊に泣き止んでもらうことのほうが先決である。
しかしあっかんべーをしても、揺すったり高い高いをしても一向に機嫌を直そうとしてくれない雛菊に対し、鬼塚は徐々に苛立ちを感じてしまう。それと同時に苛立ちを感じる自分に嫌気が差した。
「あーもう、うっさい。貸して」
見かねた女は勢いよく立ち上がって鬼塚からあっという間に腕の中の雛菊を奪い取ってしまった。
「あ、おいお前。何しやがんだ、返せ!」
「だーかーらー! うっさいって言ってんでしょ。黙って見てなさいって」
器用に片腕で雛菊を抱き抱えた女は突っかかる鬼塚の顔面をもう片方の手のひらで抑えつけた。女が思いのほか力持ちなことに驚いた鬼塚だったが、さらに舌を巻く出来事が訪れる。
「ヒナ……?」
工事現場で猛威を振るう削岩機のほうがまだマシだと思えるほど耳をつんざいていた雛菊の泣き声がピタリと止んでいたのだ。
「ほーら、アタシの言った通り」
「俺の苦労も知らねえで……」
「あっ、こら」
ガックリと肩を落とす鬼塚の前で唐突に女の戸惑う声がした。なんだと思って顔を上げると、身を捩った雛菊の手が女の胸を鷲掴んだまさにその瞬間を目にしてしまった。
鬼塚は慌てて雛菊を引き剥がそうとしたのだが「いいって別に。お腹、空いてるんでしょ」と制されてしまう。それどころか、なんと彼女は身につけているブラトップをまくって胸を露わにし、先端を雛菊の口にあてがったではないか。
「でもごめんね。私、出ないんだ」
それでも構わないのか、雛菊は一心不乱に乳を吸おうとしている。
「お前……どうかしてんのか」
「アンタこそ夜遅い時間にこんな小さな子を連れ回すなんてどうかしてるわ」
「いや……それはやむに止まれぬ事情っつうもんがあってだな」
「あっそ。それよかこの子のお母さんは?」
「……ソイツを産んですぐに死んだよ」
「事故? それとも病気?」
「病気だ。もともと体が弱かったもんで、ソイツが無事産まれただけでも奇跡みたいなもんだったんだよ」
「お父さんはアンタ……じゃないみたいね。その様子だと」
「あぁ。上司の子ってところだ」
関係性が分からず首を捻る女に、鬼塚は自身と雛菊の境遇を伝えた。
「ふぅん。オッサン、ヤクザなんだ」
「ペーペーだけどな。だからソイツの世話を押し付けられたんだが」
鬼塚がそう言うと、女は再び雛菊に目を落とした。当の本人は母乳を吸うことを諦め、ビー玉のように大きな瞳を女に向ける。女は雛菊の頭に自身の顎を乗せた。
「そっか。アンタも捨てられちゃったんだねぇ……。かわいそうに」
「アンタ『も』?」
「今のは気にしないで」
「そんな思わせぶりな態度をとっておいて気にしないでは無理があるだろ。派手な傷まで作りやがって。誰にやられた」
「大したことじゃないよ。アル中のお父さんにぶん殴られて家から追い出されただけ」